自宅の庭は4・1マイクロシーベルト。子どもたちがネットで調べ、避難を決めた

2011年3月11日の東京電力福島第一原発事故は多くの人々の暮らしを奪った。藍原寛子さんは、福島県内外や海外で取材する中、原発事故を契機に「福島から海外に避難・移住した人々」と遭遇した。海外まで避難した人々をシリーズで5回レポートする。

誰も言わない。福島第一原発3号機のプルサーマル
手放した築5年のマイホーム

「震災後、原子炉の温度が上がっていると知り、福島第一原発3号機のプルサーマル(※1)が頭に浮かびました。でも、テレビもラジオもそのことを言わない。『危機的状況だからメディアが言えないのかも』って思いました。結果的にその通りになってしまったんですけど……」

※1 福島第一原発3号機はプルサーマルのMOX燃料を使用 。MOX燃料(Mixed Oxide)は「プルトニウム」濃度が通常のウラン燃料より高く、水素爆発を起こした1号機よりも爆発の規模が大きい。

 穏やかな表情のまま、上前昌子さんは、「あの日」の出来事を語り始めた。京都生まれ。震災が起きる約9年前、夫が大阪から東北勤務になったことを契機に、市立保育所の保育士を辞めて、小学校3年の長女、2歳の長男の家族4人で福島県郡山市で生活を始める。子どもの小学校で有償ボランティアをするうちに、頼まれて児童の指導員や公民館主事も担った。

 震災当時は「おもちゃコンサルタント」として起業し、「地球環境に優しい良い素材で、親子のコミュニケーションの仲介役をしてくれるような安全で楽しいおもちゃを多くの人に届けたくて」と県内各地で活動。自宅脇にはログハウス風の事務所を建て、自宅のリビングではベビーマッサージなどの講習会も開催していた。「このままここで、子どもが楽しく遊ぶ姿を見ながら、私はおばあちゃんになっていくんだろうなあ」と未来を描いていた矢先、原発事故が起きた。

 その日は仙台市の夫のアパートにいた。巨大な揺れと停電。車中避難し、カーラジオで「原発が電源喪失して冷却できない」というニュースを聞いた。とっさに1986年のチェルノブイリ原発事故が浮かんだ。加えて、「プルサーマル運転中の原子炉は大丈夫だろうか」と不安がよぎった。

 原発事故から1ヵ月後の4月の半ば、上前さんは母子避難する。子どもたち自身がネットで調べ、「チェルノブイリでは100キロ先にも影響があったんだって」と教えてくれた。「広島の原爆後、行方不明の人を探しに来た人が爆心地に入って、その後突然亡くなっていったことが一番怖かった」と長男。避難への迷いはなかった。長男を連れて、京都の実家や友人の家を転々と避難した後、埼玉県内の私立高校で寮生活を送る長女と合流し、埼玉県飯能市内にアパートを借りて3人の生活が始まった。夫は仙台市で起業してまだ1年、一緒の避難は難しかった。

 11年6月の一時帰宅時、自宅内外の放射線を測ると、庭の土壌で4・1マイクロシーベルト(※2)、玄関前の駐車場が4・79マイクロシーベルト、リビングは0・3マイクロシーベルト。思い出の詰まった築5年のマイホームは手放した。

※2 環境省の基準では年間1ミリシーベルトが公衆被曝の上限。福島原発事故の緊急時対応として現在も、政府(文科省)が公衆の被曝限度を年間20ミリシーベルトと設定し、目安として「屋外(校庭・園庭)では3.8マイクロシーベルト以下」としている。

長女が台湾の大学へ進学。嫌な感じは一回もない台湾

 飯能市から台湾への避難を考え始めたのは11年夏ごろ。12年3月には避難を決めた。大学進学を考えていた長女が「このまま日本の大学に入っても、ウキウキした気持ちで学べない。いっそ海外の大学に」と情報を集め始めた。高校で韓国語を学んでいたことから第一候補は韓国。

 しかし学費が高額すぎた。やがて、留学生に給付型奨学金を出してくれ、生活費も安い台湾に決定。「お金がないから台湾に行ったんです」と上前さん。大学は入学金なし、4年間授業料無料。長女は通訳もできるほど台湾語(繁体字)も堪能になった。

 子どもの教育以外にも、海外避難の理由がある。日本国内での食品の放射能汚染や震災がれきの拡散、震災後に普通に生活を送る日本の現状、モノ言えぬ独特の雰囲気からの避難だ。

 台湾では、いろいろな人たちが温かく受け入れてくれた。日本人医師や、日本から避難してきた人々。台湾の人には「がんばって避難してきてくれたね」「日本からの輸入品は大丈夫か」「ちゃんとご飯食べたか」など、熱心に話しかけられた。「心配してくれていて、嫌な感じは一回もありませんでした」と上前さん。

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台湾に避難した上前さん。現在は日本と台湾を行き来している

 上前さんのことが話題となり、台湾の環境保護団体から講師として呼ばれるようにもなった。現在は台湾と日本を行き来する。「原発が爆発したのに、誰も責任を取らず、何もなかったかのようにされている。被害者が声をあげられない。そうした現状の問題を多くの人に伝えたい」

(写真と文/藍原寛子)

あいはら・ひろこ
福島県福島市生まれ。ジャーナリスト。被災地の現状の取材を中心に、国内外のニュース報道・取材・リサーチ・翻訳・編集などを行う。
https://www.facebook.com/hirokoaihara

*2018年11月15日発売の347号より「被災地から」を転載しました。

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