2011年3月の東京電力福島第一原発事故後に甲状腺がんになったのは、原発事故による被曝が原因だとして、事故当時、福島県内在住だった当時6歳から16歳の6人が今年1月、東京電力に総額6億1600万円の支払いを求める訴えを東京地裁に起こした。この「311子ども甲状腺がん裁判」の弁護団長を務める井戸謙一弁護士(滋賀県)に、提訴の経緯や原告となった甲状腺がんの若者たちが置かれている状況について話を聞いた。
開廷を前に、東京地裁入りする原告弁護団と支援者ら
事故後293人が小児甲状腺がんに
被曝と罹患の因果関係が争点に
「311子ども甲状腺がん裁判」が始まった。原告は訴状で「小児甲状腺がんは100万人あたり年間1、2人しか発生しない稀な、がん。福島県の38万人の子どものうち、事故後少なくとも293人(提訴当時)の患者が出ているのは明らかに多発」と主張。さらに、「小児甲状腺がん発症の第一原因は被ばく」であり、事故後の放射性物質放出量やヨウ素拡散シミュレーションから、「6人は相当の被ばくをした(※1 訴状表記では「被ばく」、本文中では「被曝」を使用。)」と被告・東電の賠償責任を追及。被告・東電が争うのならば、被曝以外の原因を立証せよ──としている。
東電側は9月7日の第二回口頭弁論で、「甲状腺等価線量100mSv(ミリシーベルト)以下では甲状腺がんにならず、原告らは、甲状腺等価線量10mSvしか被曝しておらず、甲状腺がんは被曝が原因であることはない」と因果関係を否認した。
井戸弁護士は「100mSv以下でも甲状腺がんになるという論文はいくつもある。チョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故では10mSv、30mSv程度の被曝でも小児甲状腺がんが多数見つかっており、すでに論破できている」と会見で話した。
記者会見する井戸弁護士(左から3人目)ら弁護団
記者会見する井戸弁護士(左から3人目)ら弁護団
また、「東大ルンパール事件の最高裁判決(※2)により、 因果関係の立証は、自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を検討し、高度の蓋然性(注・物事が起きる確実性)を証明することだとされている。1年間に、100万人中2人程度しか発生しないはずの小児甲状腺がんが、原発事故後の福島で300人も発生しているので、それだけでも被曝との因果関係は高度の蓋然性を持って証明されているのではないか」という。
※2 「訴訟上の因果関係の立証は、1点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつそれで足りる」(1975年10月)
病気判明後、提訴まで8年
ほかの患者の救済にもつなげたい
井戸弁護士が福島の甲状腺がんの子どもたちや親と出会ったきっかけは、「ふくしま集団疎開裁判」のため11年6月から福島に通うようになったことだ。「その頃から相当な広範囲に体調不良が広がっているというのを聞きました」。そして 5、6年前から、子ども脱被曝裁判の集会後などに、「身内に甲状腺がんになった子どもがいる」という相談を受けるようになった。
原発事故から11年、原告のうち最も長い人で病気判明後8年という時間を経て起こされた今回の民事裁判。「原告の親御さんたちは、いろいろな運動につながりのある人たちではなく、我が子が甲状腺がんの診断を受け、医師からは『被曝とがんは関係がない』と言われた親御さんたちです。『親族にはいないのに、なぜこの子だけががんになったのか?』『事故直後にずっと外に出て遊ばせていたのが悪かったのかも』『被曝が原因では』という思いがどうしても拭いきれなかったんですね。しかし、福島ではそれを口に出すことや周りの人に相談すること自体、相当の勇気がいる。時には批判されてしまうこともあります」
それが提訴を困難にした要因だったが、治療や手術をする中で、別の裁判に加わった人や支援者らとのつながりが生まれた。孤立していた「個人」だった患者や家族が仲間や支援者を得て裁判を起こすまでに、8年以上の時間が必要だったのだろう。
この間、井戸弁護士は、のちに原告となる若者たちの変化を見てきた。「若者たちの中には、約300人もいる甲状腺がんの患者の力になりたいという思いがあり、それが提訴の動機だったという人も多い。将来や健康、経済不安に対して補償を求めると同時に、提訴することでほかの患者さんたちの救済にも役立つという思いです。・がんになったことは不幸なことだけれども、その立場を社会的に意味のあることに生かせる・という認識の転換があったのではないでしょうか。具体的には、広島、長崎の被爆者と同じように、制度的な補償の実現です。当然、弁護団としては裁判で勝って、制度まで結び付けたいと思っています」
提訴後、広がる共感と支援
10代、20代の原告が意見陳述
そうした若者たちを支援しようと、今、地域を超えた共感と支援も広がっている。その象徴が、裁判費用を捻出するため、支援者らが立ち上げたクラウドファンディングだ。最終的に、1966人の支援者から1762万2000円が集まり、現在は毎月の支援を募っている。
サイトには「大人が解決しなければならない問題なのに、あなたたちにこんな思いをさせて申し訳ない」など、寄付者からの謝罪と激励の言葉が並んだ。そうしたメッセージも、原告の若者や支援者、弁護団の励みになっているという。
6人の原告のうち、第1回、2回の口頭弁論で、10代と20代の女性の原告1人ずつが、原発事故当時の体験、がんの手術や治療、今後、患者への補償が実現するよう求める意見陳述をした。また9月7日には新たに1人の若者が追加で提訴した。
福島県の県民健康調査などでは現在326人(調査で283人、集計外43人)以上が甲状腺がんと診断されているが、その患者が法廷で自らの言葉と声で問題を訴えたのは初めてで、当事者の実存と実態が社会に広く伝えられる裁判が始まったと言える。
井戸弁護士は、「病気を抱えていること自体がプライバシー情報になる。実名で、というのは現在では難しい」。以前、テレビ報道番組の後に「デマだ」などとネット上で一部の人たちからバッシングが起きた。だが同時に、励ましの手紙も多く寄せられ、それが「励みになっている」と井戸弁護士。
ほかの原告も意見陳述を希望しているが、東京地裁は計3回しか認めず、さらに傍聴者が少ない小法廷での弁論と指定したことで、意見陳述の機会も権利も奪われようとしている。それに対し、原告団と弁護団は原告全員の意見陳述と大法廷での裁判を求める署名活動を展開。第一次集約として8月23日、6395筆の署名を東京地裁に提出した。今後も署名活動は継続する予定だ。
井戸弁護士は言う。「被曝軽視は、広島、長崎の原爆被害から続いてきた。災害時に被害者を救済するというのは、国家として最低限の義務だと私は思っているので、原発事故の後に被曝基準が20倍に引き上げられた時には驚愕した。被曝軽視の国家の思惑で、たくさんの人が泣き寝入りさせられようとしている。そういった状況を座視することはできない」
(文と写真 藍原寛子)
いど・けんいち
大阪府生まれ。東京大学在学中に司法試験に合格。卒業後、判事(裁判官)に。住基ネット差し止めや、参議院定数の違憲、北陸電力志賀原発の運転差し止めを認める判決を出した。 2011年3月末に退官し、「ふくしま集団疎開裁判」(2011年6月提訴)、「子ども脱被ばく裁判」(2014年8月提訴)などに取り組む。
311甲状腺がん子ども支援ネットワーク
クラウドファンディング
あいはら・ひろこ 福島県福島市生まれ。ジャーナリスト。被災地の現状の取材を中心に、国内外のニュース報道・取材・リサーチ・翻訳・編集などを行う。 https://www.facebook.com/hirokoaihara |
*2022年10月1日発売の『ビッグイシュー日本版』440号より「ふくしまから」を転載しました。
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