ドイツに入国したウクライナ難民は、一時的な在留許可を取得でき、就労または教育が可能となる措置が取られている。だが、この権利を享受できていない人たちがいる。“ウクライナのパスポートを所持していない人”たちだ。ドイツ連邦内務省の試算では、ウクライナから避難してきた人々の約3%が該当し、その多くはヨーロッパ以外の国々からウクライナに留学していた学生たちだ*1。ドイツ・ハンブルクのストリートペーパー『ヒンツ&クンスト』が取材した。
 

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Anze Furlan / psgtproductions  /iStockphoto

*1 ウクライナへの留学生は過去10年で大幅に増え、2019年時点で約8万人の留学生がいた。出身国はインド、モロッコ、アゼルバイジャン、ナイジェリアなど。医学部専攻が約2万6千人と最多で、ハルキウは最多の約2万人の留学生を受け入れていた。
参照:Ukraine International Student Statistics


この日、そんな境遇にある若者たちがハンブルク大学に集まり、今の状況、母国に帰れない理由、今後の展望などについて意見交換をした。

難民申請でパスポートを取り上げられる!?

最年長のラシャド(29歳)は、モロッコからウクライナに来て4年以上が経つ。国際経済を学び、銀行員として働いていた。アラビア語、英語、フランス語、ロシア語が話せる。ニュースで見聞きする程度しか知らなかったドイツで、まさか自分が難民として路上生活をすることになるとは思いもしなかったと語る。

「ハンブルクで在留許可の申請をしました。女性の係員が私の書類を確認しました。学位証明やウクライナの在留許可証など必要なものはすべて揃っていたので、書類を見れば、私がウクライナに住み、戦争から逃げてきことは明らかです。なのに係員からは、『あなたは不法滞在にあたるので、亡命申請をするか、ドイツを離れるしかありません』と言われ、途方に暮れました。自治体の公式ホームページにも『ウクライナ難民には滞在法(Residence Act)第24条が適用され、教育を受けられる』と書いてあったのに」

「どうするかすぐには決められないと答えると、難民キャンプに送られました。パスポートもウクライナの在留許可証も取り上げられたままです。書類を返してほしいと移民局に二度出向きましたが、『今度来たら、警察に通報します』と言われ......1ヶ月後、私の在留許可申請は却下されました」

多くの学生がパスポートとウクライナの在留許可書を、ときに数週間も取り上げられるという。移民局は、これは申請手続きに必要な処置で、拒否するならドイツを去らなければならないという。その間、代わりの書類は発行されるものの、原本が手元にない不安感はぬぐえない。

難民キャンプからホームレスシェルターへ

ラシャドはさらに不安定な状況に追い込まれた。「難民キャンプに行って2日すると、今度はホームレス用シェルターに行くように言われたんです。シェルターに着くと今度は、『ウクライナの書類しかない(外国人)なら受け入れられない』と言われました。週末でホテルはどこも満室だったので、しょうがなく駅で寝ました。幸い、そこで出会ったアスマラが助けてくれ、今はホテルで生活できています」

アスマラ・ハブティジオンは、ウクライナのパスポートを持っていない難民を支援する「アスマラの世界」*の発起人だ。当事者たちにどんな選択肢があるか助言し、彼らが集える場所を提供している。

*Asmara’s World

仮証明書が発行されるも、有効期間は6ヶ月

2022年4月、ハンブルク議会は、在留許可申請中の人たちに「仮証明書(fictional certificate)」の発行を決めた。ウクライナパスポートを持っていない学生も対象となる。この仮証明書があれば、6ヶ月間の就労、ドイツ語講座の受講、社会福祉サービスの利用、学位プログラムへの申請が可能になる。連邦政府が各州に与えた権利を最大限活用したかたちだ*2。これまでに800人以上がこの仮証明書を受け取ったが、その多くがすでに6ヶ月の期限が切れ、また元の不安定な状態に戻っている。ハンブルクで教育を受け続けるには、一定のドイツ語能力と生活手段が確保できることを証明できなければならない。目下、難民支援団体「Pro Asyl」では連邦奨学金法(BAföG)に補助金の拠出を求め、多くの人が国外退去とならないよう働きかけている。

*2 仮証明書の措置を取っているのは、ハンブルク市(州)とブレーメン州のみ(2022年8月時点)。
参照:International students from Ukraine face deadline in Germany

留学生は銀行口座に最低1万ユーロの残高が必要

医学を学んで5年になるアハメド(22歳)が語る。「ドイツに来てすぐにドイツ語の集中コースを受講し、いまB1レベルです*。医学を学ぶにはC1レベルが必須なので、勉強を続けています。いろんな大学に願書を送り、ハンブルク大学の医学部プログラムに入れることになりました。大学も決まったのに、仮証明書の期限がもうすぐ切れてしまいます。それに、留学生は銀行口座に最低1万ユーロ(約142万円)の残高が必要だというのです。ドイツ語を学んだら次は1万ユーロ、無理難題ばかりが降りかかってきます。ドイツ社会でやっていくためにどれだけの苦労を強いられているか......」

*A1(初学者)〜C2(熟練者)まである。

学生たちは、ウクライナを逃げ出してから、何ヶ月も不安定な生活を強いられたと口をそろえる。医学部生のマリカ(21歳)は、「5月にハンブルクで在留許可の申請をしたら、200キロ離れたヌストローという街に行くよう言われました。すでにハンブルクで部屋を見つけ、大学のドイツ語講座と入学前準備コースに通っていたのに。パスポートを取り上げられ、ヌストローに行けば返却すると言われました」

「6月にようやく移民局の面会予約が取れ、責任者らしき女性と話せました。すると、申請はしなくてもよかったのにと言われ、手続きを担当した係員に、なぜこんなことになっているのか確認してくれました。上の人たちは状況を把握できていないのだと思います。でも、大変な目に遭うのは私たち。この面会で仮証明書を取得でき、あと数ヶ月間有効です。結局、パスポート類を返してもらったのは、それから1ヶ月後でした」

戦争から逃げてきただけなのに、認められない

まだ仮証明書を受け取っていない人たちハンブルクだけで数百人はいる、とハブティジオンは踏んでいる。この街に来てからずっと、働くことができず、社会福祉サービスも利用できず、いつ国外退去させられるかわからない人たちが。

5年前から薬学を学んでいるアンジェラ(23歳)が話す。「2月24日、爆発音で目が覚め、ハルキウにある学生寮の地下壕で二日間過ごしました。ナイジェリアからウクライナに来たばかりの17歳の妹と一緒に駅に向かうと、サイレンや爆発音がする中、みんな列車に乗りこもうと必死でした。まさに大混乱で、家に帰りたくなりましたが、妹の方がしっかりしていて、列車に乗ろうと言い張りました」

「西ウクライナに移動し、そこからハンガリー、そしてベルリンにたどり着きました。マリアさんの家で過ごさせてもらえ、ドイツの人の親切さに感激しました。でも妹も私も毎日、爆撃される悪夢にうなされました。その後ハンブルクに来て、在留許可の申請をしました。まず私が母国のパスポートとウクライナの在留許可証を見せると、ウクライナで教育を受けていた証明がないと言われ、仮証明書を取得できませんでした。あらためて面談を受けることになり、それまではパスポートを預けて、難民キャンプに滞在させられました」

「パスポートを渡さなかった妹は施設を追い出され、いまはベルリンでホームレス状態なので、離ればなれになってしまいました。私は18歳でナイジェリアを離れ、ウクライナで勉強し、気持ちはすっかりウクライナ人です。ウクライナから避難してきた他の人たちと同じように、生活を建て直すチャンスがほしい。私たちは戦争から逃げてきただけで、犯罪者ではありません。戦争難民として扱ってほしいのです」

モロッコ出身で、4年前からウクライナで獣医学を学んできたアクラフ(23歳)は、仮証明書の申請を数時間前に却下されたところだと話す。「モロッコやアルジェリア出身でウクライナで勉強していた他の人たちは仮証明書を取得できているのに、僕は却下された。誰にどんな権利があって、こんなふうに扱われるのか理解できません。いまは何をしていても楽しめない、精神的にまいってしまってます」

移民当局はまず、第三国の国民が本当にウクライナから避難してきた人かどうかを確認しなければならず、そこが明確にならないと仮証明書は発行できないとのスタンスだ。

戦争中のウクライナの大学で「すべてを履修せよ」?

イブラヒム(22歳)は亡命申請をした。そうする以外に支援を受けられないと言われたからだ。幸いにも弁護士が動いてくれた結果、二つの大学が声をかけてくれた。にもかかわらず、常に国外退去を恐れながら生活している。「ナイジェリアに戻るつもりはありません。誘拐や盗みが横行し、学校が襲撃され、あそこに平和はありません。だからウクライナに留学したのです。経済学、それから農業を勉強し、カシューナッツ農家で働きました」

「ハンブルク移民局では、ウクライナの大学で勉強していたことを証明する書面が必要だと言われました。でも学部長からは、それは無理だ、まずはすべて履修し、学費を納める必要があると連絡がありました。戦争が起きているのに、どうやって大学に戻れというのです? 私は入学金を払って、6月に入学したのに、移民当局はそれでは不十分だと言うのです。なので亡命申請するしかありませんでした。『なぜドイツを選んだのか』と聞かれたので、『ドイツは平和だから』と答えました」

Text: Anna-Elisa Jakob
Translated from German via Translators without Borders
Courtesy of Hinz&Kunzt / International Network of Street Papers




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