ドイツ北部の都市キールにある「フライシュティール(Freistil)」は、一般的なレストランとはひと味違う。障害のある人とない人が肩を並べて働くレストランなのだ。そこでは、障害の有無でスタッフを区別せず、いわゆる「インクルージョン(*)」を推進している。前向きな職場環境にすべく、スタッフは注意深くやりとりすることを求められている。「美食」と「社会的責任」を一体化させたこのレストランは、ここで働く者たちに実にスペシャルな環境を提供している。
* 社会的包摂。ここでは障害の有無にかかわらず、すべての人がそれぞれの能力や経験を認められ活躍できる状態をいう。
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鍋の中でぐつぐつ煮えている大量の紫キャベツをじっと見つめる2人の男性。1人は料理長、もう1人は助手だ。2人はこのレストランの厨房を任されている。ここまでは、取り立てて変わったところはない。
ところが、このレストラン「フライシュティール」は、普通どころか、かなり特別だ。「インクルージョン」を推進しているらしいのだが、店内を見回してもどこにもその文字は見当たらない。入り口に看板が掲げられているわけでもない。メニューに注意深く目を通す必要がある。
しかしインクルージョンこそ、このレストランが特別な場所たるゆえんだ。障害のある人とない人が一緒に料理、接客するのだから。
「人にレッテルを貼りたくはありません。私たちはチームとして働いているんです」料理長のターデ・アッセルは言う。
料理長のターデ・アッセル
フライシュティールの従業員20人のうち、約半数が障害者だ。目指すは、ともに取り組み、解決し、チームワークをうまく機能させること。まさに「インクルージョン」なのだが、それをことさらアピールすることはしない。
うまくいかないことがあっても大声を出さないーーそれが、スタッフ全員が守るべきルールだ。インタビュー中にアッセルがコーヒーを2つ注文した。ところが、出てきたのはカプチーノだった。
「時にはこんなこともあります。お客さまには謝りますが、ミスを障害のせいにはしません」とアッセルは言う。
厨房たる場所では、物事は必ずしも計画どおりに運ぶわけではない。それはフライシュティールとて同じだ。しかしここでは、想定外の事態が起きても、騒然としたり慌ただしい雰囲気を出すことは禁物なのだ。
「私が突然あれこれ命令しても、障害のあるスタッフは理解してくれないでしょう。一番忙しい時間帯であっても、ちゃんと時間をかけて穏やかに説明しなければなりません」ただ、注文した料理ができ上がるまで、客はほんの少し長く待つことにはなるが。
フライシュティールの厨房でも、てんやわんやの大忙しになるときはもちろんある、と助手のフリチョフは漏らす。「でも何とかやってますよ」と笑みを浮かべた。重度の学習障害がある19歳の彼は、週に5日、料理長について、材料を切ったり炒めたり調理をしている。そもそもは見習いとしてこのレストランに来たのだが、見習い期間が終わった後もここで働き続けたいと思ったという。
助手のフリチョフ
「ここで料理したいと思いました。スタッフはみんな、とても親切でしたから」
見習い期間を終えた2017年7月、彼はフライシュティールの正社員となった。
「厨房にはとてもリラックスした雰囲気が流れています」とアッセルは言う。どんな事態が起ころうとも、穏やかなトーンで話し、解決することになっているからだ。飲食業界では、穏やかな厨房などなかなかないように思うがーー。
「私がこれまで働いてきた厨房では大抵、かなり厳しい言葉が飛び交っていました」と言うアッセル。以前働いていた店では、料理に2分余計に時間がかかっただけで、料理長から「お前は料理もできないのか」とこき下ろされたそうだ。いまでは彼自身が料理長だが、命令口調で話すことは許されないし、そうしたいとも思っていない。
「この店独特の雰囲気に惚れ込んでいるんです」
フライシュティールが入っている建物はシュレーフェン公園内にあり、もともとはスイミングプールだった場所だ。2人が紫キャベツを煮込んでいる場所で、かつては水泳教室が開かれていた。
「私もここの教室に通って、タツノオトシゴのバッジをもらったことがあります」とアッセルが言うと、「今じゃ同じ場所でタツノオトシゴのオーブン焼きを作ってるけどね!」口を挟んだのはレストラン支配人のスヴェン・ブルク=カルステンスだ。
強い北ドイツ訛りで話す56歳の彼は、2016年にフライシュティールをオープンさせた。障害者支援を行う「ドラッヘンゼー基金(Drachensee foundation)」から、インクルーシブをテーマにしたレストランをやってみないかと持ちかけられ、熟練シェフである彼はすぐさまそのアイデアを気に入った。
「美食と社会的責任を組み合わせるなんて、なんともスペシャル感のあることですから」
厨房と同様、支配人と料理長もまた、肩の力を抜いて助け合いながら働いている。
「クスクスを詰めた焼きリンゴなんてどうかな?」支配人が尋ねると、料理長が目を細め、顎に手をあてて少し考え…「いいね!」と答えた。
「うちのレストランは、店名だけでなく料理も’フライシュティール’(英語で「フリースタイル」を意味する)なので、全く退屈しません」と支配人は笑った。
支配人と料理長のポジションだけは専属の人でなければならないが、厨房のそれ以外の作業や接客などのサービス業務は、障害のある人とない人が分担しており、スタッフや作業の種類は一切区別されていない。
障害のあるスタッフの一人サイモンは43歳、1年前からフライシュティールで働いている。
「私の仕事は、お客さんが楽しく満足してお食事できているかに気を配ることです」と誇らしげに語った。お客さま対応も同僚と一緒に働くのも楽しいという。隣に立っている料理長を指さして、「特に(料理長の)ターデとはね」と言った。それから、1人だけ特別扱いするのはよくないと思ったのか、同僚の前を歩きながら、「君とも、君とも、そして君とも、一緒に働けてうれしいです」と声をかけた。それに対し、全員がお礼を言った。
サイモン
その様子をニコニコしながら見ているアッセル。彼は地元キール出身、2017年にフライシュティールの料理長となった。まわり道もしてきたが、今振り返ると、彼がこのレストランに来たのは当然の成り行きだったように思える。
大学で農業科学を学びながら調理のアルバイトをしていたアッセルだったが、仕事が楽しかったので、大学を辞めてシェフの道に進んだ。世界各地を旅し、ドイツとニュージーランドではいろんなレストランで料理人として働いた。支配人からフライシュティールの料理長をやってみないかと声がかかり、彼はふたつ返事で引き受けた。
「私の中で、料理とインクルージョンは最高の組み合わせです」とアッセルは言う。
料理長のターデ・アッセルと助手のフリチョフ
大学入学前に1年間、障害児学級でボランティアをしていたことがある。彼の父親はドラッヘンゼー基金で支援住宅の担当マネジャーだったので、幼い頃からインクルージョンは生活の一部だったのだ。
アッセルは25歳という若さながら、多くのスタッフを率いる責任ある立場だ。その重責を誰かと分担したくなるときもあるという。
「障害のない人だけが働く厨房の方がいいんじゃないかと自問することもあります」と本心を明かした。でも、そんな気持ちも長くは続かないという。「スタッフの仕事ぶりを見ていると、なんて素晴らしいんだと心から誇りに思うんです」とにっこり笑った。
助手のフリチョフも多くの作業を担っている。「新しいメニューがあるときは、しっかり理解しなくてはなりません」そう言いながら、ニンジンを切ったり、貯蔵庫からビートルートを持ってきたり、鍋の中身をかき混ぜる。料理長が「彼はここで働き始めてから、ずいぶん多くのことを学びましたよ」と言うと、「そりゃあもう大変でした」とフリチョフ。2人は笑い声をあげた。
料理長にとって、スタッフからのフィードバックはとても貴重だ。
「普通の厨房では、1日の仕事を終えると、従業員は挨拶だけして帰ってしまいます。でも障害者の多くは、楽しかったこと悲しかったことをオープンに表現します」
ここのスタッフは毎日、何が良くて何が良くなかったかを料理長に報告する。
「おかげで、彼らが楽しく働けていることがわかります。それを実感できるのは嬉しいですね」とアッセルは言った。
そうこうしているうちに、この日の仕込みが終わり、紫キャベツにも十分に火が通った。客を迎える準備は整った。それを知らせるのは、料理長アッセルと助手フリチョフの役目。2人は満足げにうなずいた。
助手のフリチョフ(左)と料理長のターデ・アッセルと
――
ドイツ北部のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州(州都キール)には、「インクルージョン」を掲げた施設が20カ所あり、うち5カ所が飲食店だ。フライシュティールの他に、アルテ・フィッシャレイシュール・ホテル(エッカーンフェルデ)、アルター・クライス バーンホフ・ホテル(シュレースヴィヒ)、マルリストロ・ミュージアム・カフェ(リューベック)、シティ・カフェ(オルデンブルク)。
「ドラッヘンゼー基金」はキールを拠点に障害者支援を行っており、認可作業所640カ所と、認可住宅203カ所を運営している。フライシュティールで働く障害者は同財団が雇用し、財団からレストラン側に推薦している。
By Georg Meggers
Translated from German by Jessica Michaels
写真:Heidi Krautwald
Courtesy of Hempels / INSP.ngo
フライシュティール公式サイト
https://freistil-lessingbad.de
ドラッヘンゼー基金公式サイト
http://www.drachensee.de
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