日本唯一の新規原発計画、山口県・上関原発-迫る、埋め立て許可の期限切れ。電力需要が減っても、白紙にできない中国電力

上関(かみのせき)原発計画が大きな山場を迎えている。地先の海岸の埋め立て許可の期限切れが迫っているからだ。

中国電力が山口県で進めるこの原発計画が最初に浮上したのは1982年。以来37年間、計画地対岸の祝島(いわいしま)漁協をはじめとした反対運動が今も着工を止め続けている。現在の日本で唯一の新規地点の原発計画だ。


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福島原発事故後、計画は中断
新規立地は考えていないのに状況の変化認めない経済産業省

 上関原発は狭い土地に2基を建てる計画で、海岸を埋め立てて原子炉を設置するという、全国でも例を見ない計画だ。

 埋め立てには山口県知事の公有水面埋め立ての許可が必要となる。2008年に中国電力は申請を行い、同年に埋め立て許可を得た。予備調査を終え、11年初めに本格工事に入ろうとしたが激しい反対運動によって中断。その最中に福島原発事故が起き、知事が工事の見合わせを要請。以来、中断したままである。

 08年の許可は3年間の期限が付いていたため、11年に中国電力は許可の延長を申請し、16年に許可を得た。その許可期限が今年7月6日に切れる。

 延長申請から許可までに5年もの長い期間を要したのは、福島原発事故により政府の原子力政策が大きく変化しつつあったからだった。当時の民主党政権は原発の新規立地を認めない方針を示し、原発を原則40年で廃炉にしていく脱原発政策を決めようとしていた。安倍政権はこれを翻したが、新規立地に関して今は考えていないと明言している。第5次エネルギー基本計画は2030年時点を想定しているが、この時点でもなお新規立地はない。

 この流れからすれば、延長の許可はないはずだった。そこで中国電力が頼りにしたのは05年に閣議了承された上関原発の「重要電源開発地点」指定。経済産業省はこの指定が今も有効であり「事情の変化がない限り」解除することは考えていない、と中国電力の求めに応じて回答した。そして、ついに村岡嗣政山口県知事は延長を許可。その際、建設の見通しが確実になるまでは埋め立て工事に入らないように要請し、中国電力もこれを受け入れた。

電力供給はあり余るのに県・中電・経産省の無責任体制

 他方、09年に中国電力は旧原子力安全・保安院に原子炉の設置許可を申請したが、福島事故以降、審査はまったく行われていない。再開には中国電力が新しい基準に適合させた書類を申請する必要がある。審査再開の見通しはない。

 このように事故後の状況は大きく変わっているにもかかわらず、経済産業省は「事情の変化はない」という姿勢だ。

 期限切れを目前にした6月7日、地元山口県や首都圏の市民団体と経産省ならびに原子力規制庁との質疑が行われた(写真)。地点指定の要件に、立地が確実であること、電力供給計画に組み込まれていること、環境影響評価が終了していること、地元自治体の建設合意、などがある。当初の地点指定は建設用地の買収が一部できていないままであり、また環境影響評価も承認されないままにおざなりに行われており、問題を残している。

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原子力規制庁へ質問書を手渡す参加者たち

 経済産業省は今回も「事情の変化」を認めなかった。中国電力は上関原発が本当に必要なのだろうか。同社の電力需要は電力自由化の流れの中で減ってきている。島根1号機を廃炉にしたが、再稼働申請を行っている2号機と3号機で電力の供給力はあり余る事態になっている。需要は伸びる見通しはなく、上関原発の必要性はなくなっている。規制をクリアする場合の建設費は公表されていないが、2基で1兆円をはるかに超えることになるだろう。

 中国電力の19年度の計画では上関原発について着工の時期も運転開始の時期も未定のままだ。これでは、重要電源開発地点の指定要件を満たしていない。現時点で申請すれば指定されないだろう。

 中国電力は政府の地点指定が有効だといい、山口県は地点指定が有効であることを根拠に埋め立てを許可し、経産省は指定解除には中国電力か山口県からの働きかけが必要という。やりとりを通して明らかになったのは、お互いが相手を根拠に判断をするという無責任な状態のまま事態が流れているということだ。
 中国電力は、建設の意味がなくなっているのにもかかわらず、この37年間の惰性で白紙にできないでいるのだろう。
 もうひとがんばりして計画を撤回させたいものだ。

(伴 英幸)

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(2019年7月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 362号より)

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伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)
http://cnic.jp/

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