関西電力は9月27日に大阪市内で臨時記者会見を開き、経営トップら20人が2011年から18年の7年間に約3億2000万円の金品を、福井県・高浜町の森山栄治元助役(故人)から受け取っていたことを明らかにした。しかし、具体性に乏しく社会的な批判が高まったことから、10月2日に2度目の記者会見を開き受領人の氏名などの資料を公開。この資料は昨年9月11日にまとめられたもので、コンプライアンス委員会を立ち上げて調査し、緩やかな処分なども行っていた。
内部告発者、関係者の辞任と「裏」世界との決別求める。
隠しきれなくなり公表へ
金品は現金1億4501万円、商品券6322万円分、米国ドル15万5000ドル(約1705万円)、金貨368枚(4973万円相当)、金杯8セット(354万円相当)、スーツ仕立券75着分(3750万円相当)などだ。菓子箱の下に金貨を敷くなど、まるで時代劇で悪代官に袖の下を贈るようなやり方もあった。受領したのは20人とされ、うち12人の氏名が公表された。1000万円を超えているのは、鈴木聡・原子力事業本部副本部長1億2367万円、豊松秀己・原子力事業本部長1億1057万円、森中郁雄・原子力事業本部長代理4060万円ら(いずれも現職名)。また、報告書では高浜町の建設業者「吉田開発株式会社」以外の取引社名は黒塗りだ。取引は公正だとしているが極めて怪しい。
関電はこうした調査結果を公表していなかった。今回の発端は共同通信社のスクープ報道だったが、この背景には「関電良くし隊」という匿名の人物からの内部告発があったようだ。内部告発は関電幹部に闇マネーが還流していることを指摘し、関係者の辞任と「裏」の世界との決別を求めていた。その文書が市民団体やマスコミなどに送られたため、関電は隠しきれなくなったのだ。
菅原一秀経済産業大臣は9月27日に閣議後の記者会見で、「事実とすれば極めて言語道断で、由々しき事態だ」「徹底解明し厳正に処する」と述べた。こうして2回目の記者会見となった。
元助役、受注側と発注側の役員に。
資金還流は30年におよぶ可能性
森山氏は19年3月に90歳で亡くなったが、地元では「天皇」「裏のドン」と呼ばれた実力者。綾部市職員から招かれて高浜町職員に移り、1975年に収入役に、77年には助役に就任して87年まで務めた。この間に高浜3号機と4号機が増設された。退任後は、関電の100%子会社の「関電プラント」(大阪市)で非常勤の顧問に。87年頃から18年12月まで30年以上にわたって在籍し、報酬も受けていた。
同時に、関電から土木工事などを受注した吉田開発の顧問にも就いていた。同社は関電プラントから18年8月度までの6年間で約65億円の事業を受注。森山氏は発注側と受注側の役員を務めていたのだから、取引の公正どころか利益相反との批判は免れない。
森山氏の闇マネーの出所は吉田開発で、昨年1月に金沢国税局が吉田開発に税務調査に入り、森山氏への資金の流れがわかった。森山氏の口利きで関電工事を受注し、その売り上げの一部が森山氏にわたり、さらにそこから関電に還流したのである。
国税の調査を知った関電は各人が受け取った金の一部を八木誠会長がまとめて森山氏に返金した。それでも国税局は関電側の保管期間が長いことから“預かり”とは認めず、修正申告による納税をさせた場合もあった。関電の“一時的に預かっていたもの”との弁明は、収賄罪の適用を逃れるための口実に他ならない。
国税局の調査の対象期間は7年間で、それ以前は対象となっていない。森山氏との関係は30年以上におよんでいることから、闇マネーは長く続いていたと考えられる。14年に刊行された『東京ブラックアウト』という小説がある。著者は若杉冽(ペンネーム)で現役の経産官僚といわれている。これによれば、電力会社が市場価格の2割増しの単価で発注し、この超過利潤を闇マネーにすると指摘している。関電に限らずどの原子力事業者も同様のことをしているのだろう。
国会でも徹底解明する動きがある。10月9日、関電は八木会長と岩根社長らの辞任、第3者委員会による継続調査を発表した。この際、原発の闇マネーの存在とカラクリを明らかにしてほしい。
(伴 英幸)
(2019年11月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 370号より)
伴 英幸(ばん・ひでゆき)
1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)
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