フォトジャーナリストは「撮る」だけが仕事ではない。「責任を負う」自覚があるかが大切/ピュリツァー賞受賞写真家ロレンツィオ・トゥニョーリにインタビュー

 イタリア人の写真家ロレンツィオ・トゥニョーリは、この世で過酷な暮らしを強いられている地域を「撮る」だけでなく、そうした地域で「生活」もしている。2010年、31歳の時に仕事で訪れたアフガニスタンの首都カブールに暮らすようになり、2015年からはレバノンのベイルートを拠点としている。そしてこの度、ワシントン・ポスト紙に掲載されたルポルタージュ「イエメン内戦と飢饉」で2019年度ピュリツァー賞特集写真部門を受賞した。

西ヨーロッパの人間には “はるかかなたの出来事” にも思える「イエメン内戦(2015ー)」に、トゥニョーリの写真によって人々の関心が向けられようとしている。イタリアのストリート誌『Scarp de’ tenis』による取材記事を紹介する。

― 現在、イエメン内戦はどのような状況にありますか?

状況は日増しに悪化していますし、イラクやシリア、イエメンでは西側出身のジャーナリストは標的にされています。以前はジャーナリストが敵とみなされることなどなかったのですが…。

アフガニスタンに暮らし始めてすぐに「足を踏み入れてはならない場所がある」ことを学びました。それでも、以前より写真を通して世界を描き出すことは容易になっていると思います。コミュニケーションを取るにも世界を理解するにも、私たちは多くの写真を使うようになっていますから。

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アッザン村の八百屋の外で物乞いをするベール姿の女性 − 2018年5月22日
Photo by Lorenzo Tugnoli/ The Washington Post/ Contrasto

この村はアルカイダに支配されていたが、2017年12月、シャブワ精鋭部隊によって解放された。この精鋭部隊は、サウジアラビアならびにアラブ首長国連邦(UAE)率いる同盟と手を組み、同地域でアルカーイダと戦っている。

アルカイダ対イエメン軍という“影の戦争” がここ1年で激化しているが、大半は目につかないところで行われており、ほとんど報道もされない。南部分離独立派が仕向けた北部反政府組織と国際的に認められた暫定政府との争いには大きな関心が寄せられている一方、米国の支援を受けたイエメン軍とアルカイダ過激派との戦闘もエスカレートしている。

過激派の拠点を複数奪還したとはいえ、シャブワ県ならびにアビヤン県の奥地に潜む過激派と戦うイエメン軍は、対アルカイダの先行きは不透明だという。

― 人々の苦しみが美化される恐れはありませんか?

それは、撮影するときも撮影後に写真を選ぶ際にも、常に自問していることです。撮っているときは秒単位での判断が必要ですから、目の前の人たちに思いを馳せることは容易ではありません。時間が限られているなかで、まず撮らなくてはなりません。

でも撮った写真を見ているときは、自分は何を求めているのか、自分が目にしたものをどう伝えたいのかをよく理解することが重要になってきます。フォトエディターやディレクターらとそういったことを考えていきます。何枚も撮っていても、よくよく考えた末に使わないと判断することもあります。

私にとって大切なのは、(被写体となる)人々を尊重することで、見る側にトラウマを残してしまうような写真は避けたいと思っています。でないと、単なる興味本位のセンセーショナルな写真となり、負担の押しつけになってしまいます。伝えるべきは子どもたちもが巻き込まれている過酷な状況、そのことを忘れてはなりません。

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Photo by Lorenzo Tugnoli/ The Washington Post/ Contrasto

― カブールに次いでベイルートでの生活、なかなかの勇気ある選択に思えます。

最初は仕事のためでした。ジャーナリストとしてあちこち旅するようになり、中東それからアジアによく行きました。カブールを訪れたのは2010年、NATO(北大西洋条約機構)による軍事活動がピークを迎えていた頃です。たくさんの才能あるジャーナリストたちと仕事をし、報道各社も大きな関心を寄せていました。

プロの写真家として重要なステップにあったので、現地に残ることにしたのです。そうしているうちに、この複雑な事情を抱えた場所に個人的にも興味を持つようになり、住むことにしました。

ひとつの国を長い時間かけて撮影していると、固定観念が取り払われ、表面的ではない、物事の深いところを見られるようになります。「写真」が私の物の見方を変えてくれました。

2015年からはベイルートに移りましたが、ずいぶん暮らしやすいです。現地の言葉も好きですし、この辺りの文化をもっと理解したいと思っています。ここは多様な文化のるつぼですから。

― 他の写真家の作品はどういう基準で評価しますか?

自分の作品を判断するときと同じです。でも自分の写真となると、なかなか柔軟には考えられませんね。正直、写真を評価するというのは難しい作業です。往々にして撮影には具体的なニーズが結びついていますから。その写真は何のためか? アート作品なのか報道目的なのか?

個人的には「写真を用いたコミュニケーション」に大きな関心があります。写真家と被写体のあいだに“関係性”があると、見る人もその写真と心を通わせることができる。表情や動きなど、写真の中に映ってるものすべてを結びつけるものです。そうした関係性を感じさせる写真こそが、素晴らしい作品だと思います。

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イエメンの都市タイズ − 2018年11月25日
Photo by Lorenzo Tugnoli/ The Washington Post/ Contrasto

フーシ派の反政府組織と地元の武装組織が町の支配権を争って闘ったときと、その後の地元の武装組織間での衝突と、二度の破壊によってがれきと化したal-Jahmaliya地区の建物群。

― なぜ写真家になったのですか?

「写真」という媒体が大好きだから、それがすべての始まりです。それに加え、数が減ってきている政治的運動に関するストーリーを伝えたいという思いを抱くようになり、それが世界を旅する理由となりました。写真でストーリーを伝えることで、イエメン情勢のような問題に人々の関心を向けられればと思っていますが、それは「世界を変えられる」という考えとはまったく別ものです。

写真家のあいだでは今、特定の事象をどう表現するのか、どの視点からどう語るのかを考えることが重要になっています。それには「倫理的」かつ「美的」な側面がかかわってきます。

数年前、リビアの移民拘留センターにいたとき、家族と引き離され、おびえて泣いている少女がいました。写真を撮りはしましたが、結局は使いませんでした。写真を発表することでまだ幼い彼女にどんな影響が及ぶかわかりませんから。逆に、「写真を撮って」と向こうから頼まれることもあります。ある葬儀に参列したとき、遺族から撮ってくださいと言われました。自分たちの苦しむ姿の写真が世に出ることで、戦地に目を向けてもらえるきっかけになるだろうと考えたのでしょう。

― とても難しい職業だと思いますが、人々の痛みに慣れてしまうことはありませんか?

医者にとっては患者を「患者」としてだけでなく「人」として見られるかどうかが大切です。それと同じで、私たちもファインダーの向こう側にいる人間をしっかり見つめられるかがとても重要です。

できることならば、コミュニティに入っていって一緒に時を過ごし、言葉を交わし、気の合うところを見つけること。その人たちのことを深く知れば、こちらの感じ方も変わり、それが写真にもにじみ出るものです。

もちろん、それが可能なときもあれば、そうでないときもあります。私たちが扱っているのはあくまで「戦争」であって、中に入り込むことすら難しいこともありますから。それでも大切な目標は、「撮る」という仕事をこなすだけでなく、「責任を負う」自覚があるかどうかだと思います。

By Daniela Palumbo
Translated from Italian Federica Frisiero
Courtesy of Scarp de’ tenis / INSP.ngo

ロレンツィオ・トゥニョーリ公式サイト
https://www.lorenzotugnoli.com 


ロレンツィオ・トゥニョーリ
1979年、イタリア・ラヴェンナ生まれ。ボローニャの大学で科学を専攻した後、アフガニスタンに移り、国際的に有名な写真家や出版社との仕事を始める。写真は The New York Times, Newsweek, Time Magazine, The Guardian, L’Espresso and Vanity Fairに掲載されている。

2015年、レバノンに移る。2019年、イエメンの飢饉を撮ったストーリー(ワシントン・ポスト紙掲載)でピュリツァー賞を受賞。過去には世界報道写真の受賞歴もあり。


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