シーン#1: 映画公開から25年、スコットランドの深まる薬物危機
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映画『トレインスポッティング』の主人公レントンの有名なセリフだ。アーヴィン・ウェルシュの同名小説をダニー・ボイル監督が映画化。ユアン・マクレガーら俳優陣の出世作となったこの作品は、スコットランド・エディンバラが抱えるドラッグ・カルチャーという暗部を白日の下にさらした。1996年2月23日に公開されるや、スコットランド国民のアイデンティティを揺さぶり、薬物問題をめぐる議論を巻き起こした。
『トレインスポッティング』のユアン・マクレガー(1996)
人々が目を背けがちな社会階層の混沌を伝える作品だ。
薬物依存を引き起こすもの、それは選択肢の欠如である。生まれ育った環境、さまざまな機会が得られなかったこと、貧困など、諸要因が幾重にも重なり、薬物以外の選択肢がなくなっていくのだ。
スコットランドの薬物事情は、この四半世紀でむしろ悪化している。さらに新型コロナウイルスの感染拡大がもたらした経済的混乱も相まって、エディンバラの街は「欧州のエイズの首都」と呼ばれていた80年代を彷彿とさせるものがある。問題は、薬物常用者が「選択」を誤ったからではない。為政者が人命を軽視する「選択」をしてきたことだ。抜本的対策がこれまで以上に求められている。
シーン#2: 原作者アーヴィン・ウェルシュ「人々の無関心が問題だ」
映画公開から1か月後の1996年3月、『ビッグイシュー英国版』に登場したウェルシュはこう語っている。「見る人それぞれの感想を持つだろうとは思っていました」。25年が経った今でも、この映画が話題になることがあるのは驚きだろうか?
「いいえ。生きた文化と結びついた作品だったからでしょう」とウェルシュ。
ロックダウン中、彼は故郷であるエディンバラ北部の港湾地区リースに戻っていた。80年代当時、彼が1年半にわたりヘロインを常用していた街だ。その体験が基になって『トレインスポッティング』が生まれた。
この街には、再び混沌と絶望が現れていると言う。
「街を歩いていると、パートナーや子どもに向かって怒鳴っている人をよく見かける。限界に達している人が増えてるなと感じますね。仕事もなく、狭いアパートに家族で閉じ込められ、プライバシーもない、まさに生き地獄なのでしょう」
「支援の多くは今やオンライン経由で行われている。パソコンを持っていない、図書館も閉まっているとなれば、どうすりゃいいんだとなりますよね」
25年前の記事では、「この作品がどれだけ社会の役に立つか、今の段階ではまだ分からないけどね」と述べていた。今ではその答えがあるだろうか?「本、映画、演劇、音楽そのものに社会を良くする機能を期待するのではなく、それを見た私たち一人ひとりが社会を良くするべく行動しなければなりません。芸術分野でできること、それは人々の暮らしについて問題を提起し、人々の心を動かすことだけです」
映画公開時と比べて、かつてはヒステリック的だった薬物問題への反応が薄くなっている、と語る。「問題は人々が無関心なこと。政府も、メディアも、エリート層の人たちも、依存症の問題を気にかけていると口先だけの言葉すら示さなくなっている。ヒステリックな反応があるくらいの方が、社会を律するにはマシですよ」
アーヴィン・ウェルシュ
Credit: Brant Adam Photography
「資本主義が終わろうとしている事実、そして薬物問題に真剣に向き合わないと。テクノロジーの進歩により、人間が身体的にも精神的にも力を持て余すようになっている。テクノロジーが私利私欲に使われている限り、多くの変化は望めないでしょう」
「一部地域ですすめられている取り組みを除くと、一般の人々の薬物問題への関心がますます薄まっているように思いますね」
シーン#3: 毎日3人が薬物で命を落としているスコットランドの実態
データを見てみよう。スコットランドの薬物関連の死亡者は、1996年の244人から、最新の統計データとなる2019年で1264人と大幅に増加している。毎日3人が命を落としている。毎日3家族が大切な人を失っている現実。
スコットランドの薬物関連死は、英国の他の地域よりも4倍、EU平均の15倍、2位のスウェーデンの3倍だ。薬物問題を抱えている人は約6万人、成人の80人に1人に相当する(スコットランドの人口は約546万人)。
「まさに薬物政策の失敗です」スコットランド薬物フォーラム*1の最高責任者デイヴィッド・リデルは言う。「何十年もの間、“ライフスタイルの選択”という世論を反映した政策が取られてきました。つまり、薬物に溺れるのは自業自得とする考え方です。しかしこのような政策では、トラウマ(心的外傷)や精神疾患との関連がなおざりにされています。薬物に溺れる人々が悪者扱いされ、偏見を向けられ、社会から疎外されるだけです」
英国の他地域をはじめ、世界には薬物対策として優れた実践例がある。「薬物治療を受けている人の割合がスコットランドは35%どまりですが、イングランドでは60%に達しています。スコットランドの治療が魅力的でないのがその原因です。政府が主張するやり方が、実際に治療を必要とする人のニーズに応えるものになっていないのです」とリデルは言う。「優先すべきは、まず命を守ることです」
他国の先進事例を見てみよう。ポルトガルは2001年にすべての薬物所持を合法化した*2。その結果、人口1000万人の国が、スコットランドの人口15万人の都市ダンディーよりも薬物による死亡者が少ない。
*2 ポルトガルは世界で初めて薬物合法化の対応を取り、薬物関連の死亡者およびHIV感染率を急減させている。参照:Want to Win the War on Drugs? Portugal Might Have the Answer
英国の法律も時代遅れと言わざるを得ない。英国の薬物乱用防止法が制定されたのは1971年、今から50年も前だ。
ただでさえひどい状況に、パンデミックが追い打ちをかけている。昨年1年間で、53%の薬物使用者が摂取量を増やし、59%が摂取頻度を増やした、と示す調査もある。事態改善のためには、人々の意識改革が必要だ。薬物問題を犯罪や道徳の問題として捉えるのではなく、「健康問題」として捉えることが重要だ。
シーン#4: ホームレス経験者が移動式薬物注射サービスを展開
ピーター・クライカント(43歳)は、映画館で『トレインスポッティング』を観た日のことをよく覚えている。「厳しい現実が描かれた作品です。ヘロイン依存症に陥ると、薬物を手に入れるためなら何だってやってしまう。嘘、窃盗、詐欺、強盗を繰り返すんです」
映画が公開されたのは、ちょうど彼が薬物を使い始めた頃だった。幼少期のトラウマに苦しんでいた彼は、16歳のときに真剣に自殺を試みたこともある。苦しみを和らげてくれるのは薬物しかなかった。その後、人生のすったもんだの末にバーミンガムにたどり着き、ホームレス用シェルターと路上を行き来する生活を3年続けた。ときに『ビッグイシュー英国版』の販売者としても働いた。「販売の仕事は良かった。事務所に行って、他の仲間と過ごすのも楽しかった」
そんな彼が、今や、スコットランドの薬物対策の変革者としてニュースに取り上げられている。2020年8月、彼はグラスゴーで車両を使った移動式の薬物摂取拠点を導入したのだ。英国初の取り組みだ。
当初使っていたミニバンから、中古の救急車にアップグレードしたばかり。車両の外側には“グラスゴー薬物過剰摂取予防サービス”とはっきり赤い文字で書かれている。「こそこそする必要はありません。救急車は私たちが「健康問題」に取り組んでいることの象徴です」
ピーター・クライカントが運営する救急車
Courtesy of The Big Issue
グラスゴーの薬物事情は悲惨だ。31時間に1人のペースで薬物関連の死者が発生している。本来なら防げたはずの犠牲者だ。ここ数年は注射針の共用を原因とするHIVエイズ感染者数の増加が著しく、過去30年で最悪レベルだ。
クライカントが提供しているのは、安全な空間で不法薬物を投与できる場だ。清潔な注射針を使うことでHIV感染も防げる。「この取り組みにより、注射器具の廃棄が減り、万引きなど反社会的行為も減り、入院する人も減るでしょう。薬物常用者だけでなく、すべての人がメリットを感じられるはずです」(過去記事:ハームリダクションー違法薬物注射の常習者のための「合法的薬物注射施設」の効果)
ピーター・クライカントが運営する救急車
Courtesy of The Big Issue
「スコットランド政府はこれまで、このようなかたちの薬物支援ができないのは英国議会のせいだと法律のせいにしていました。しかしこうやって、薬物乱用防止法を改正せずとも、スコットランド政府に与えられている自治権の範囲内でやりようがあるのです」
しかし、薬物関連の死亡率を大幅に下げるには、この移動式施設だけでは難しい、とも言う。グラスゴーでは、このような施設で薬物を注射している人は推定500人。スコットランド全体の薬物摂取者6万人のほんの一握りでしかない。
また2019年の死者のうち800人は、路上で安価(約76円程度)に入手できる抗不安薬が関係していたという事実もある。「こうした問題への対策を打たないことには、死亡者が大きく減ることはないでしょう。答えは単純です。ヘロインを使った治療を提供し、多くの人が処方薬として薬物を入手できるようにすべきです」
2021年1月、ニコラ・スタージョン首相は「国の恥」とも言われる薬物問題への対策として、2億5000万ポンド(約378億円)の予算を計上した*3。スコットランド議会にて、首相は「こんなにも多くの人々が薬物で命を落としている事実は、私たちの失策にも原因があるでしょう」と述べた。「責任は政府にあります。薬物依存で命を落とす人は、その時だけ間違いを犯したのではありません。多くの場合、人生を通して何度も失敗を繰り返してきたからでしょう。私たちが本気で取り組めば、このような事態を阻止する方法を見つけられるはずです」
*3 薬物関連死者数のデータ発表を受け、スタージョン首相は公衆衛生大臣ジョー・フィツパトリックを解任。アンジェラ・コンスタンスを薬物政策に特化した大臣として任命した。
Nicola Sturgeon announces £250m to tackle ‘national disgrace’ of drug deaths
合法的薬物注射施設の展開を模索していく計画が立てられている。クライカントが“不法でない”と証明したやり方だ。スタージョン首相は議会で、彼の名も持ち出した。
クライカントは薬物対策の変革を推進すべく、5月に行われるスコットランド議会選挙に、出身地のフォルカーク・イースト選挙区から無所属で立候補することを決めた。「スコットランド議会が最初に開催されたのは1999年、社会の幅広い層の声を代表する場になると言われていました。私自身、重度の精神疾患、依存症、そしてホームレス状態を経験してきました。社会の恵まれない人たちの声を届けるため、スコットランド政府に変革を起こしていきたいです」と意気込む*4。クライカントは『ビッグイシュー英国版』の「2021年チェンジメーカー」にも選ばれた。
*4 その後、5月6日に投票が行われ、残念ながら落選した。
参照:https://www.bbc.com/news/uk-scotland-scotland-politics-57028947
シーン#5: ホームレス経験者が映画の背景を語るガイドツアーが人気
ホームレス経験者をツアーガイドとして養成し、独自の視点でガイドツアーを提供する英国の社会事業「インビジブル・シティーズ(Invisible Cities)*5」。エディンバラの他、マンチェスター、ヨーク、グラスゴー、カーディフの街でもツアーを開催、ロンリープラネットが選ぶ「ベスト・イン・トラベル2021」に選ばれている*6。
*5 見えざる(Invisible)存在だったホームレス状態の人が目に見える(visible)存在として活躍する、との意味合いが込められている。Invisible Cities https://invisible-cities.org
*6 Invisible Cities Tours: Best in Travel 2021 Community Tour
ガイドの1人ポール・スチュワート(54歳)は、『トレインスポッティング』をテーマにしたツアーを主催し、リース地区の光と影を伝えている。「私はいわゆる“トレインスポッティング時代”に育ちました」と言う。「1983年にマーガレット・サッチャーが造船所を閉鎖し、ヘロインが流行りだした頃に、私は10代でした。仕事は全くなく、人々が見捨てられていましたよ」
「映画のタイトル『トレインスポッティング』にはいくつかの意味合いが込められています。ヘロイン常用者が注射をすると腕に線路のような痕が残るって意味もあるし、鉄道マニアを意味する単語でもあります。鉄道の追っかけは(それをしない人には)なかなか変わった、刹那的な趣味に思えるだろうけれど、アーヴィン・ウェルシュはそれをメタファーに使ったんだ。つまり、その趣味(薬物摂取)をする人だけが、なぜするかを理解しているってことを」
「この街には悲観的なことばかりじゃないけど、私は暗い話もするようにしています。きちんと真実を伝えたいからね。映画の舞台になったってことだけでなく、映画が作られるに至った背景事情についても話します」
「今でも毎日のようにヘロイン依存者を目にします。ガイドツアーをしていると、しょっちゅう彼らから罵声を浴びせられます。嫌な気持ちになりますが、ツアー参加者たちは “このツアーっぽい”と喜んでもいます」
エディンバラの観光といえば、「ゴースト・ウォーキングツアー」が有名だ*7。お客からの要望があれば、それ系のスポットにも案内すると言う。「最後にチップをはずんでくれるならね!」
David Drummond/Pixabay
*7 もっと知りたいエジンバラ!恐怖のマニアックツアー
コロナ禍で世界の観光産業が壊滅的な打撃を受ける中、「インビジブル・シティーズ」も変化を迫られている。スチュワートもツアーのライブ配信を始めた。先日開催した旧市街ツアーには、世界中から400人が参加した。
By Steven MacKenzie
Courtesy of INSP.ngo / The Big Issue UK bigissue.com @BigIssue
アーヴィン・ウェルシュの最新作品(脚本担当)は『クリエイション・ストーリーズ』(日本未公開)。ロックバンド・オアシスを見出したアラン・マッギーの伝記映画だ。
『クリエイション・ストーリーズ』予告編
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https://www.bigissue.jp/backnumber/398/
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