「野生動物の治療」と聞いて、「野生動物は本来、人の手を借りずに生き、死んでいく存在なのでは?」と疑問を持つ人は少なくないでしょう。確かに弱った個体が淘汰されることは、自然の営みの一部です。
それでも、野生動物の治療をする獣医師がいます。いったいなぜ、そしてそれはどのような仕事なのでしょうか。
2025年12月27日、東京・渋谷のGEOCセミナースペースで「野生動物医療の最前線:アフリカと日本、2つの現場から考える獣医師の役割」をテーマにしたイベントが開催されました。NPO法人「アフリカゾウの涙」創設者で、ケニアで野生動物獣医として活動する滝田明日香さん、そしてそんな滝田さんの活動に賛同し、支援を続けてきた宇野獣医科病院の院長・宇野哲安さんが登壇しました。
「助けない」という判断から始まる獣医療
滝田さんは、野生動物医療は、常に「治療する理由」が問われる仕事であり、多くの場合「治療しない」という判断の上に成り立っていると言います。

当たり前ながら、通院も、経過観察もできない野生動物の治療は、その一度の介入が、動物の生死やその後の生き方を左右します。だからこそ、最初に問われるのは「どう治療するか/治療できるか」ではなく「(動物も人間も)安全に終われるか」です。
治療をするとなったら、処置の時間はできるだけ短くし、音、匂いなどの刺激を減らすために、地形や風向きもチェックするなど、野生動物の獣医ならではの確認が無数にあります。
「その介入が、本当にその動物のためになるのか」
目の前に傷ついた動物がいれば、「助けたい」と思うのは自然な感情です。しかし、野生動物の世界では、その善意が必ずしも良い結果につながるとは限りません。
「助けたいと思っても、介入しない方がいいケースはあります」
「治療しない、という判断も野生動物獣医の仕事です」
人の手が入ることで、人に慣れてしまい、結果として野生で生きられなくなる動物もいます。アフリカの野生動物医療は、命を救う技術の話であると同時に、介入の是非を引き受ける仕事なのだと伝わってきます。
また、治療そのものにも大きなリスクが伴います。滝田さんは現場での具体例として、
「ライオンは麻酔が効いたふりをして、近づくと襲うことがある」「キリンに蹴られたら人間は即死する」といったエピソードを共有した時には、会場に緊張感が走りました。
第一部の後半では、ライオンに噛まれたバッファローの子ども、人里近くで人から攻撃を受けたチータ──具体的なケースを前に、参加者が介入するかどうかを判断するというグループワークを行いました。獣医学部の学生を中心とした参加者でしたが、簡単には答えが出ない難しい問いに、一同悩みました。滝田さんの判断は、いずれも「介入しない」というものでした。
野生動物医療は「命を救うかどうか」だけでなく、「救わないという決断をどう引き受けるか」を問う仕事なのです。
参考:滝田明日香さんが『ビッグイシュー日本版』で連載している「ケニア便り」
日本社会で、獣医師が担うものとは
第二部では、愛知県岡崎市にある宇野獣医科病院の院長であり、長年小動物臨床に携わってきた宇野さんが登壇しました。宇野さんは、滝田さんの活動に感銘を受け、毎年オリジナルのカレンダーを作製し、その販売収益金を滝田さんの活動に全額寄付しています。

宇野さんはまず、獣医師の役割について、こう指摘します。
「獣医師は、治療だけをする存在ではありません」
日本では、野生動物が都市部に現れるケースも増え、人と野生動物の生活圏が重なり合う場面が増えています。その結果、野生動物を「どう扱うか」「どう距離を取るか」という
判断が、社会全体に求められるようになっています。
野生動物が生きていける環境を守る活動を、長いスパンで続ける必要性を指摘しました。
宇野さんは、日本で野生動物の問題が複雑になっている背景として、制度や行政の構造についても触れました。
「野生動物をめぐる問題は、農作物被害への対応(農林水産省)、動物愛護の観点(環境省)、銃の所持・管理に関わる法制度など(経済産業省)と、複数の法律や行政の管轄にまたがっています。また、保護をするかどうかの判断は、県知事が担います。そのため現場では、『これはどの法律の枠組みで判断すべき問題なのか』が整理されないまま、対応を迫られることが少なくありません」
法律やルール自体は存在していても、現場で「どう判断するか」までは示されていないケースが多く、結果として、その判断は現場に委ねられます。治療を行うかどうか、介入するか距離を取るかといった倫理的・実務的な判断を、個々人が引き受けざるを得ない状況が生まれているのです。
そうした前提を踏まえたうえで、宇野さんは「真実は一つでも、知識や経験の違いから、受け取り方や価値観は人によって違います。同じ判断に近づくには、学び続けるしかありません」と語りました。
滝田さんも「その土地の人のカルチャーと価値観を理解して、一体彼らは何を求めてるのかを理解すること。この地域に何が必要なのかを理解してないと押しつけになってしまう。まずは一緒に座って、いろいろな人と喋る必要がある」と力説しました。
「野生動物を助ける仕事」があるということ
獣医師の仕事は、常に目の前のペットの命を救うことだけとは限りません。
野生動物に対峙する時、野生だから自然のままにすべきという考え方もありますが、密猟・罠・交通事故など、人間活動が原因で傷ついた場合は、人が原因で生じた被害に、人が責任を持つ必要があるという考え方もできます。
また、人間が環境を破壊し続けてきた結果、生物多様性が損なわれ様々な生物が絶滅しつつある今は、個体ではなく「種」や「生態系」という単位で判断しなければならない場面もあります。
宇野さんは「獣医師だけでなく、自然環境を守ろうとする一人ひとりの行動が、野生動物を守ることにつながる」と語り、それぞれの立場で関わり続けることの大切さを強調しました。

NPO法人「アフリカゾウの涙」は、こうした野生動物医療の現場を支え、アフリカと日本をつなぐ活動を続けています。
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