(2008年4月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第92号より)

金融を可視化する「コミュニティ・ユース・バンクmomo



東海地区最初のNPOバンクとして誕生した「コミュニティ・ユース・バンクmomo」。20〜30代の若者が中心になって、新しいお金の流れをつくるこの試みが目指すものは何なのか? 代表理事、木村真樹さんへのインタビューをはじめ、momoの取り組みを追った。


私の貯金が、イラクに落とされる爆弾をつくっていた



「信じられない、自分も戦争の加害者だったなんて」

2005年、名古屋市内で開催された「コミュニティ・ユース・バンクmomo」(以下、momoと表記)の立ち上げ説明会。そこに参加していた主婦の内田由紀子さん(35歳)は、会場で耳にしたある話に愕然とした。

「将来のために」とOL時代からコツコツとお金を貯めてきた。そのお金を預けている大手都市銀行が、大量にアメリカ国債を購入しているため、自分の預金が結果的にアメリカの戦費に使われているということを、初めて知ったのだ。言葉にできないほどのショックを受けた。

「いつもテレビで戦争や環境破壊のニュースを見て、どうして平和にできないんだろう?って、すごく腹が立って、よく夫に愚痴を聞いてもらったりしてたんです。それが、まさか自分の通帳のお金がイラクに落とされる爆弾に使われていたなんて」

内田さんは預金を全額引き出すため、すぐに銀行に向かった。自分の預金が、小さな子どもまで巻き込む戦争の資金に使われている。そう思うだけで、いてもたってもいられなかった。窓口では、「何に使われるのですか?」と尋ねられた。「私のお金を戦争に使ってほしくないんです」。説明会で聞いた話をそのまま話すと、窓口の女性も初めて聞いたのか、驚いたようすで「それはとても良いことですね」と共感してくれた。「みんな、自分のお金が何に使われているのか知らされていないだけなんだ」と思った。

内田さんは引き出した預金の大半を、夫と一歳半の子ども3人の名義でmomoに出資した。地元の地域社会を豊かにする事業に融資しようとするmomoの理念に共感したからだ。内田さんは、妊娠中から、わが子が生きる未来が不安だった、と話す。

「だんだん大きくなる自分のお腹を見て、自分たち家族だけの幸せはありえないと思ったんです。家計が楽ではないから、社会のために寄付する余裕はない。でも、預金を移すだけなら自分にだってできる。自分のお金が地域社会のために有効に使われていると思うと、なんだかワクワクします」

お金によって切れたつながりを、お金を介してつなぎ直す



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momoには現在(注:2008年4月1日時点)、内田さんのように、自分が働いて稼いだお金を有効活用してほしいと考える市民ら約180人が、総額約2000万円を出資している。ホームページには、出資者一人ひとりがどんな思いでお金を託したのか、切実ともいえるメッセージが並ぶ。多くは環境や福祉、自然エネルギーなど、地域の社会問題を解決する事業への融資を希望している。

momoは、これら思いのつまったお金を使って、地域を豊かにする事業に融資し、持続可能な地域づくりを目指す仕組みだ。そして、その活動を中心的に担っているのが、「momoレンジャー」と呼ばれる、学生を含む20〜30代の若いボランティアたちである。

momoを旗揚げした代表理事の木村真樹さん(30歳)は、「若い人が、お金を介して地域づくりにかかわることのできる場所をつくりたかった」と話す。

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木村さんは、元銀行マン。母子家庭で一人っ子だった木村さんは、地域のつながりや周囲の大人に囲まれて育った。それだけに、地銀への就職は地元名古屋の「地域への恩返し」のつもりだった。ところが、入行当時、日本は金融危機の真っただ中。地域貢献どころか、不良債権の処理に追われ、そこはいわゆる貸し渋り、貸しはがしの世界だった。

また、メディアでは「元気な名古屋」と喧伝されるが、一方で多くの企業が借金返済に窮し、地域社会が疲弊しているのを目の当たりにした。「閉塞感を肌で感じた」

地銀を退職すると、金融機関に環境配慮を呼びかける環境NGOの運営に携わった。新しいお金の流れをつくるNPOバンクに可能性を感じ、それに賭けてみたいと思った。「企業は世の中に大きな影響を与えている。それならば、その企業にお金を貸すかどうかを判断する金融が変わっていけば、世の中も変わると思った」と木村さんは話す。

後編に続く>*1/28アップ予定