その3を読む

短大を卒業して少ししてから、歩き遍路をしたことのある友人に寝袋等の道具一式を借りて僕は旅に出た。

歩き遍路をナメていたつもりは無かったのだが、日常的に履いていたボロくて安価な運動用ですらない靴で旅に出てしまったこともあり、各所で「お遍路ナメんな!」とか説教されたりもした。実際、靴ずれがひどすぎてソフトボール位の大きさの水ぶくれが出来て1日を通して5kmしか歩くことが出来ない日もあったりして、お遍路の厳しさを身を持って知ることになる。一日300円以内に節約しながら47日間かけて八十八ヶ所を巡った。この体験で人の暖かさをたくさん知った。そしてコンビニで温水洗浄便座に出会い大感動した!!人生で3度目のトイレ革命だった。そして達成感を持つことができた。ただ、そのあと燃え尽きたのか一年ほどひきこもることになった。

4:短大卒業~最近 お遍路

1年間ひきこもった後に、母の知り合いの方に声をかけていただいてショウガの収穫のバイトに行くことになった。元々不器用で農作業なんてほぼほぼやったことがなかったド素人だったので周りにものすご~く迷惑をかけたように思うが、「挨拶だけは絶対にする」だとか、辛くなったら頭の中で「今日一日頑張ればコレくらいお金が貰えるんだぞ!」と自分に言い聞かせることでなんとか乗り越えた。


そのおかげもあってか次の年も呼んでもらえた。その次の年もその次の年も。そうやって現在も年に1~2ヶ月程の短期のバイトではあるが、継続して働かせてもらっている。僕が定職に就かないことを心配してくださったり、体の状態や労働環境に対して気を配ってくださったり、仕事に対する姿勢を見せてもらえたことは本当にありがたいことだった。短期のバイトだから大きな稼ぎにはなりづらいが働いたときには家にも少しではあるがお金を入れられるようになった。僕を雇っていただいたことに対して、感謝の言葉しか無い。


そんな生活が出来るようになったにも関わらず、生きづらさに関してはずっと解消されることは無かった。生きづらさを解消するためにはどうすればいいのかも分からず、頭の中がグルグルしてしまって布団に横になってボーっとしたりパソコンをしたりする日々がずっと続いた。

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28歳のときに思い立って精神病院へ通ったりもした。けれど、どの先生もほとんど話を聞いてはくれず薬を貰って帰るだけのことが多かった。元々病院も薬も嫌いな僕はそんな状況に納得が出来ず、薬もほとんど飲まずに病院を転々とした。そうして5ヶ所目の病院で一時間半ほど待たされたあとに対面した先生に開口一番「私も忙しいんだけどねぇ~」と言われた。凄くショックだった。先生の前では我慢したが診療が終わって精算を待つ間に思わず号泣してしまった。「ショウガで必死になって稼いだお金をなんでこんなことに使わなければならないのか?」本当に悔しかった。もう2度と病院なんかへは行くもんかと誓った。


生きづらさもひきこもりがちな生活も全く解消されないままに30歳を迎えた。節目となる歳だったことに背中を押されて、ひきこもり支援施設と精神病院に行ってみることにした。ひきこもり支援施設の方は支援員の方が話を丁寧に聞いてくれることもあり、少しずつではあるが外出する機会も増えていった。精神病院の方は母の知り合いの知り合いが精神科のお医者さんだということでそれを頼りに通ってみることにした。病院までは片道3時間弱かかってしまうが、ワラにもすがる思いだった。


そこで出会った先生は、これまでのお医者さんと違い本当に丁寧に話を聞いてくれ、丁寧に話を引き出そうとしてくれた。僕もそれに答えるように必死で話をした。最終的にどんな診断が下るのか分からないままに今までの人生を出来るだけ細かく伝えた。かなり長時間話を聞いてもらったあとに先生から「下田さんは発達障害のひとつであるADHDだと思います」と言われた。「思考の多動性もあると思います」と。正直に言ってそんな診断が下るとは思いもしなかった僕はキョトンとしてしまった。先生はADHDについて丁寧に説明をしてくれた。納得出来る部分もありつつ、正直混乱をしていた。ただ、ひとつだけそのときに強く思っていたことがあって「この先生が言うことであれば、僕は納得が出来る。例え薬が毒だったとして死んだとしてもこの先生であれば納得が出来る」と強く思っていた。死んだほうがいいのではないか?と毎日考えるほどに自分自身が苦しんでいたこともあったが、何より先生は丁寧で優しい口調でこちらが納得するまで説明をしてくれた。だから覚悟を決めることが出来た。同時に強迫性障害だとも言われ薬をいくつか貰って帰った。


最初は薬の効き目がイマイチ分からなかったりもした。ただ、そのたびに先生は丁寧な説明をしてくださったので安心していた。そんなこんなで薬を試しているうちにコレか!と感動するような薬に出会えた。そのおかげで僕の生きづらさはかなりのところ解消された。


薬と出会うまでは頭の中で自分の意識とは関係なく色々な思考がグルグルと嵐のように吹き荒んでいた。僕はそれを認識することが出来なかった。頭の中で色々なチャンネルだったり文字だったり情景だったりが浮かんでは消えてグルグルしていた。そのうちに嫌な記憶が掘り起こされて苦しくなってどうしようもなくなっていた。


それが薬のおかげで完全にとはいかないが今現在、自分がどういった思考状態なのかを認識することが出来るようになった。ある程度認識が出来ればコントロールをして着地させたりも出来るようになった。自動思考は未だに続いているがその自動思考をメモ帳に書き記すようになった。それをまとめて文章にしているのが「つきゆび倶楽部」だったりもする。ちなみに薬を飲むことを手放しでオススメしたいわけではない。薬の副作用で苦しんでいる人をたくさん見てきているから。ただ、薬も自分の生きづらさを解消する手段の一つとして捉え、選択肢のひとつとして試してみることも悪いことではないと、自分の経験から言うことは出来る。


もちろん薬を飲んだからと言って順風満帆なワケでもなかった。色々と苦しんだりもしている。ただ、人生を前よりもずっと楽しめるようになった。色々と人と会ったりすることも苦痛ではなくなった。刺激的な状況が続くと、反動で寝込んだりもするけれど、少しずつ人生を楽しむように意識して生きている。クロマニヨンズのライブへ行ったり、さだまさしのコンサートへ行ったりすることも昔の自分では考えられなかったが、高校時代から続くひとつ年下の友人に無理矢理誘われて参加してみたら、いかに自分が人生を楽しんでいないかを痛感させられた(笑)


そして何より、客観的に過去のことや家族のことを見ることが出来るようになった。父の弱さも、兄の苦しみも、母の必死さも元々分かっていたことではあったが、思考に余裕が出来てからは前よりもさらに認めることが出来るようになった。
過去に辛い目にあったせいで生きていることを実感しづらいのだと思っていたが、実はそれだけで片付けられることでもなく、僕は元々家族を恨んでいないことにも気付けた。そのことに気付けたことが1番の収穫だ。だから家族を許そうと四国遍路修行をしてもモヤモヤしたまま生きづらさが解消されなかったのだ。そもそも誰のことも恨んでいないし憎んでもいないのにそういった方向で自分を納得させようとしていただけだった。(その5に続く



下田つきゆび(つきゆび倶楽部)
1983年高知県生まれ。中2から3年間の完全ひきこもりを経て、定時制高校、短大に進学。
30歳を機に地域のひきこもり支援機関や病院に行くようになり、強迫性障害とADHDと診断される。
31歳でひきこもり経験を活かした「つきゆび倶楽部」という表現活動を始める。
現在はひきこもりがちな生活を送りながらもWRAP(元気回復行動プラン)のファシリテーターとして活動中。


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