2017年2月25日・26日に大阪府豊中市で開催された、ひきこもりにかかわるイベント「若者当事者全国集会」を取材したのをきっかけに、編集部メンバーは高知在住のひきこもり経験のある男性と出会った。
男性の名は下田つきゆびさん。
彼の壮絶な体験と、前向きなキャラクターのギャップに惹かれ、彼の制作・販売している「つきゆび倶楽部」という冊子を一部購入させてもらった。
冊子を読んで、より多くの人に知ってもらいたいと感じたため、ビッグイシューオンラインに「つきゆび倶楽部」から下田さんの自伝部分、メッセージ部分を転載させていただけないか打診したところ、快く了承をいただいた。
ひきこもりのきっかけや状況は、人それぞれ。人によって事情や状況は異なるものだが、ひきこもり経験者が周囲にいない人にとっては「なぜひきこもるのか」「どんなきっかけなのか」が見当もつかないことが多い。
今回の下田さんの話は「ひきこもり経験」のひとつの例に過ぎないが、全国に推定150万人以上いるとされるひきこもり状態の人たちへの理解の一助になればと思う。
—–以下、「つきゆび倶楽部」より転載(全6回)–
1.誕生~本格的にひきこもるまで
今回、つきゆび倶楽部をこういった形で世に出すにあたり、泉さん(*)をはじめとして色々な方とお話をする機会がありました。その関係性の中で自分の人生について吐露させてもらうことによって、ひとりで人生について考えていては絶対に気付かなかったであろうことや、今までなんとなくは気付いていたけれど確信を持っては言えなかったことが色々と見えてくるようになりました。
(*編集部注:2月の「若者当事者全国集会」の主催者の一人。下田さんが「つきゆび倶楽部」総集編を制作し広めるきっかけとなった人物)
自分の人生を人に晒すことはリスクを伴う行為です。でも、僕は僕の人生を面白いと思っています。自分で言うのもなんですが分かりやすくインパクトのある人生だったので、僕の人生について「面白い!」って言ってくださったり、僕のことを深く理解してくださる方が増えたりと良いこともありました。逆にインパクトがありすぎるために場の空気を悪くしてしまったり、変に心配をかけてしまったりすることもありました。
ただ、「僕は僕の人生を面白い!」と、本気で思っています。無駄な部分も含めて自分の人生を全肯定しています。だから今回もここで晒すことが「面白い」ことにつながりそうな気がしているので自分の人生を晒してみようと思います。
※注意事項として最初にちゃんと言っておきたいこと。
僕が僕の過去を語ることは家族の悪口を語ることとイコールだったりします。だから読んでいて嫌な気分になってしまう人もいるかもしれません。でも、僕が今から語る過去話に出てくる登場人物の中には悪人はひとりもいないってことをちゃんと宣言しておきます。それぞれがそれぞれの弱さを抱えていただけのことであって、みんな何かしら傷ついています。人間臭い人たちです。みんな今でも生きています。だから、安心して読んでやってください。
僕は1983年8月にこの世に生まれた。家族は父と母と兄の4人家族。物心が付いたのは4歳くらいだったろうか。その頃には保育園に通っており、保育園では食が細いこと以外は特に問題の無い生活をしていたように思う。
小学校に上がる頃には食の細さもある程度改善されて給食の時間も楽しんでいた。ただ、僕は宿題を持って行くことがメチャクチャ困難な人だった。宿題を持っていかないと先生に怒られるし、授業のスピードにもついていくことが出来なかった。怒られるたびに明日こそは持って行こうと決心するのだけど、帰宅してからはゲームや友人と遊ぶことに気を取られて宿題のことを思い出すことが全く出来なかった。それでもそれなりに毎日を生きていた。
けれど、2年生の3学期に当時の担任の先生にみんなの前で立たされてフルスイングの平手打ちを喰らった。先生も堪忍袋の緒が切れたのだろう。メチャクチャ痛かったし泣いたし反省もした。それでも次の日も宿題を忘れていった。学校に到着してから宿題を忘れたことに気付いて自分でもビックリした。それくらいどうしようもない子だった。でも、恐怖心っていうものは凄いもので徐々にではあるけれど宿題を提出することが出来るようになっていった。母の「宿題は?」という声がけも後押しをしてくれたおかげで3年生になる頃にはちゃんと宿題が出来る子になっていた。宿題というものはよく出来たシステムで、宿題をこなせているとちゃんと授業にもついていけるようになった。授業についていけるようになると学校が格段に楽しくなった。だから今でもフルスイングで平手打ちしてくれた先生には本当に感謝している。
3年生に上がってからは勉強に困ることも無く、楽しい学校生活を送っていた。そんなときに兄が不登校になった。イジメによるものだった。兄は元々体が弱く喘息持ちだった。いつ頃だったかは忘れたが、喘息がひどくなって顔が真っ白になって運ばれていく光景を今でも覚えている。兄は思慮深く感性豊かな優しい人で、嫌なことを嫌と言えない人だったように思う。だからイジメのターゲットになったのかもしれない。母が兄を連れてスーパーマーケットへ行き、兄が本を立ち読みしている間に母が買い物を済ませて兄の元へ戻ったら、兄が何も言わずに同級生からずっと背中を蹴られていたと聞いたことがある。もちろん母が怒って追い払ったが、兄は何も言わなかったらしい。他にも僕が知らないだけでたくさんの嫌なことがあったのだろう。
当時、兄の担任の先生がウチを訪ねてきたことがある。僕も微熱が出てちょうど休んでいた。兄はベッドで布団を頭までかぶって寝ていた。その隣で僕は兄の担任から延々と学校を休まないことの重要性を説かれた。9歳かそこらの子どもでも分かるような正論だったように思う。それはきっと僕に語りかける体で、兄に語りかけていたのだろう。あのとき兄はどんな顔をしていたのだろう。言われるまでもなく、頭がよく真面目な兄は「学校へ行かなきゃ」と思っていただろう。だけど行けなかったのだ。当時はまだ不登校やひきこもりについて今よりもずっとずっと関心が低い時代だった。そんな時代に不登校を選ばざるを得なかった兄の心中はどれほどのものだったのだろう。
その頃から僕は兄から暴力を受けるようになった。最初は殴る蹴るだけだったが、たまに金属バットやバトミントンのラケットで背中を殴られたり掃除機の持ち手の部分を振り下ろされたりカッターナイフを投げられたりギザギザのパン切り包丁を首につきつけられたりした。色々やられたけれど僕は一切怪我をしなかった。兄は意識してなのか無意識になのかは分からないが、手加減をしてくれていたのかもしれない。兄は基本的に優しい人だった。学校から帰ってくるとよく一緒にゲームをして遊んだ。勉強を教えてもらったこともある。兄は真面目で優しいが故に同級生や先生に傷つけられすぎたんだと思う。小学生には耐えられない重さだったのだろう。僕に暴力を振るう以外に救いがあれば良かったのだろう。今考えてみても兄はやりたい放題だった。でもきっとそれは兄と真正面から向き合える家族がひとりもいなかったからだと思う。僕も真正面からどつきあいをすれば良かったと思う。殴る痛みも殴られる痛みも兄と共有すれば良かった。僕はイジメを受けたことが無い。だけど兄を通じて間接的にイジメの影響を受けたと思っている。だからやっぱりイジメは嫌いだ。誰も得をしない。
親にも助けは求めなかった。失礼な話だが、兄は可哀想で大変なんだと思っていたし暴力を受けるのはしょうがないことだと思っていた。ただ一度だけ、なんでかは覚えていないが親父の勤務先に電話をかけて助けを求めたことがある。親父はすぐに帰ってきてくれ、僕は車に乗せられ親父の会社近くの車の中で仕事が終わるまで待っていた。親父はその後、仕事場の前にあった小料理屋に連れて行ってくれ、僕は生まれて初めての牛すじ肉の煮物を食べさせてもらった記憶がある。とても美味しかった。
兄が暴れるたびに母と2人でプチ家出をした。母はハンドルを握って号泣しながら「一緒に死のう!」と叫ぶことが多かった。そのたびに僕は「大丈夫、大丈夫、そのうち良くなるよ」となだめていた。一緒に家出するために僕の授業が終わるのを学校前で待っていたこともある。そのときには決まって母の実家がある愛媛へ家出した。平日だったりしたものだから祖父母には心配もされたが温かくおもてなししてくれた。高知医大の駐車場や夜須町の手結という場所によく行った。海を見据えることが出来る崖上に車を止めてシートを倒して波の音をよく聞いていた。室戸や安芸へもよく行った。なんでかは分からないが高知の東へ車を走らせることが多かった。海沿いの道や海岸には色々な思い出が今でも詰まっている。
当時の僕にとって救いだったことは小学校5~6年の頃、学校が凄く楽しかったことだ。みんな面白く楽しく優しいクラスメイトばかりだった。本当に楽しかった。本当に救われた。
下田つきゆび(つきゆび倶楽部)
1983年高知県生まれ。中2から3年間の完全ひきこもりを経て、定時制高校、短大に進学。
30歳を機に地域のひきこもり支援機関や病院に行くようになり、強迫性障害とADHDと診断される。
31歳でひきこもり経験を活かした「つきゆび倶楽部」という表現活動を始める。
現在はひきこもりがちな生活を送りながらもWRAP(元気回復行動プラン)のファシリテーターとして活動中。
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