住まいに大きな不安を抱える高齢女性たちに迫ったドキュメンタリー映画『アンダーカバー(Under Cover)』が、2022年10月からオーストラリア国内で上映されている。豪スウィンバーン工科大学アーバントランジションセンターの研究員ゾエ・グドールらが『The Conversation』に寄稿した記事を紹介しよう。
オーストラリアでは、55歳以上でホームレス状態にある人の数が2011〜2016年にかけて28%増加した。特に、この年代の単身女性でホームレス化する人が急増している。数字を知っていることと、当事者のリアルな状況を知るのとは、また別の話だ。『アンダーカバー』でスー・トムソン監督が描き出したのは、住宅不安やホームレス問題に直面している高齢女性10人の物語。彼女たちは簡易宿泊所、コミュニティ住宅(community housing)*1、自分の車やワゴン車、トレーラーハウス用の駐車場などで生活している。
*1 コミュニティ住宅業者が困窮者向けに提供する非営利のアフォーダブル住宅で、大半は公的資金で運営されている。
映画『アンダーカバー』予告編
「普通の主婦だった自分がまさかホームレスになるなんて」
ホームレス状態に至るまでの経緯は人によってさまざまだが、育児で仕事を辞めざるをえなかった、もらえる年金がごくわずか(もしくはゼロ)、家庭内暴力に遭った、離婚など家族の破綻で資産を失ったり立ち退きを迫られたり等……その引き金となった要因には共通点がある。
彼女たちは、女性が社会から求められる役割――夫、子ども、高齢の親の世話――をこなしてきた。映画の中である女性が語っている。
Under Cover/SA Films
「私たちはやるべきことをやってきただけ。結婚して、家に入り、子どもを育ててきた」
自分たちの“奉仕”の果てに貧困状態に陥った現実にショックを受け、深い悲しみや挫折を味わっている。その多くが、朝起きて、洗濯し、その日食べるものを調達し、収入を求め、大事なものを手入れし、どうにか安全なところで眠る、といった日々のルーティンを、なんともはかなく不安定な場所で行っている。
“ホームレス問題はどこか他人ごと、自分がそうなるとは思ってもみなかった”と、多くの女性たちが口を揃える。彼女たちは、思いがけないことにはなったが、自分の思いをはっきりと述べる、ごく平凡な女性たちだ。
「自分がホームレスになるなんて考えたことなかった、一度たりとも」
この映画は、“ホームレス状態は誰の身にも起こり得る”という考えを強烈なまでに提示し、政治の変革を訴える作品である。
家賃や生活費の上昇で高まるリスク
近年、上昇の一途をたどる家賃や生活費が、人々をホームレス化させる圧力となっている。
オーストラリア全域のコミュニティサービス団体「アングリケアオーストラリア」の住宅取得能力に関するデータ*2によると、家賃はかつてないほど“手が出ないもの”となっており、低所得者にとってはなおさらだ。全国的にリストアップされている民間賃貸住宅のうち、単身の年金生活者が支払い可能な物件はたったの0.7%、夫婦の年金生活者でも1.4%しかない。
*2 参照:Rental Affordability Snapshot – National Report 2022
不動産市場は、基本的人権として住まいを提供するというよりも、いかに収益を上げるかを目的としている。そのことが、著しい影響を長期的に及ぼしているのだ。
次回のホームレス全数調査(5年ごと)が発表される2023年にはおそらく、ホームレス化するリスクにある高齢女性の数は増えているだろうし、実際に住まいがない状態を体験した人の数も、年齢層や性別に関係なく増えているだろう。
Under Cover/SA Films
手頃な価格帯の住宅(アフォーダブル住宅)を増やす必要性
映画では、ホームレス女性たちを支援している主な団体の活動やプログラム*3 にも光を当てている。しかし、ナレーターを務めた女優のマーゴット・ロビーが語っているように、NGOの活動は政府からの支援なくしては実現が難しい。
*3 Housing All Australians https://housingallaustralians.org.au など。
現在空きがあるソーシャル住宅(social housing)やアフォーダブル住宅は、これまでネットワークやコミュニティーを築いてきた場所から遠く離れたところにあることが多く、住まいが安定しても、社会への帰属感を犠牲にしなければならないこともある。
今後は、ソーシャル住宅やアフォーダブル住宅を大々的に増やしていく必要がある。そうすれば、人々がしかるべき選択肢を持つことができ、これまでの生活圏から遠く離れなくても住まいを確保できるようになるだろう。仮住まい物件(temporary housings)ももっと増やしていく必要がある。
高齢者向け住宅の革新的モデルを評価した最近の研究*4 では、ソリューションとして共同組合型住宅(co-operative housing)*5 や所有権共有型住宅を提案している。住まいをニーズに合わせてコンパクト化する、といった選択肢もある。これらは、よい老後を送るには安心安全な住居が必要との高齢者の思い*6 とも合致する。安定したオルタナティブな住まいがあることは、諸事情(離婚や持ち家がないなどの理由)で家族の家で暮らせなくなった高齢者の助けになるだろう。
*4 参照:Alternative housing models for precariously housed older Australians
*5 さまざまな形態を取るが、主な特徴は民主的な運営により、居住メンバーの経済的・社会的ニーズを満たすことを目的とする。北欧ではアフォーダブル住宅のあり方として主流だが、豪ではまだ1%以下。参照:More affordable housing with less homelessness is possible – if only Australia would learn from Nordic nations
*6 参照:Older Australians and the housing aspirations gap
もっと広い観点から見ると、住まいを人権とみなし、人々が健やかに生きていく上での基礎であるとの認識に立った住宅政策が必要だ。住まいは、必須の社会インフラとして守っていかなければならない。
社会政策のより広範な見直しを
高齢女性が住まいを失わないためには、住宅以外にも、育休の取得促進、給与の男女平等、家庭内暴力への対応、年金のジェンダー格差をなくす等、あらゆるレベルや尺度でジェンダー間の不平等をなくす取り組みが必要だ。大きな課題ではあるが、より公平で公正な社会をつくるには、是が非でも取りかからなければならない。
今のやり方を続けていては、こうした問題が次世代へと引き継がれるだけだ。今日の若い女性たちが、明日のホームレス高齢女性になるだろう。そして、映画の中の女性が述べているように、いったいどうして自分がこうなってしまったのかと思わされる。
「これが自分だなんて……。長年生きてきて、自分がこんな状況になるなんてとても信じられない」
ジェンダーや年齢に焦点を合わせた住宅ソリューションを打ち出すことも急務である。
ホームレス状態にある人々は“目に見えない存在”とされがちだ。ホームレスの高齢女性となると、なおいっそう不可視化されるのだろう。だからこそ『アンダーカバー』では、ひとりひとりの事情をクローズアップし、女性たちの実体験を浮き彫りにした。
自分が見えていない(もしくは見たくない)ものについて政策を打ち出すことなどできない。幸い、連邦政府による全国的な住宅政策を実施するとの公約、公営住宅で暮らすシングルマザーに育てられたアルバニージー首相による開かれた議論への前向きな姿勢など、今後、オーストラリアの住宅状況がより公平なものになっていく兆しはある。
いつの日か、「高齢女性の住まいに関する不安やホームレス問題をどうやって解決したのか」をテーマとした『アンダーカバー』の続編が作られれば、うれしいかぎりだ。だが、当面必要なのは、年齢・ジェンダー・その他の脆弱性についての理解を深めた研究に裏打ちされた対策を政府主導ですすめることだ。そして、この映画を見た人たちが、家族、友人、同僚との会話で、またはメディアなどで、こうした問題を取り上げていくことも非常に重要である。
映画『アンダーカバー』公式ページ
https://www.undercoverdocumentary.com
著者
Zoe Goodall
Research Associate, Centre for Urban Transitions, Swinburne University of Technology
Margaret Reynolds
Research Fellow, Centre for Urban Transitions, Swinburne University of Technology
Piret Veeroja
Research Fellow, Centre for Urban Transitions, Swinburne University of Technology
Wendy Stone
Professor of Housing & Social Policy, Centre for Urban Transitions, Swinburne University of Technology
※本記事は『The Conversation』掲載記事(2022年8月19日)を著者の承諾のもとに翻訳・転載しています。
参考:
コロナ禍が招いた貧困・社会的孤立を描いた映画『夜明けまでバス停で』(10月8日公開)の脚本を担当した梶原阿貴さんとビッグイシュー日本東京事務所長 佐野未来の対談が「週刊金曜日」10月14日号(第1395号)に掲載されています。
梶原さんが脚本を書くきっかけとなった東京・渋谷でのホームレス女性暴行死事件についてや、どのようにして孤立が生まれ、希望を見いだせるのかについて語りました。
週刊金曜日公式サイト
https://www.kinyobi.co.jp/tokushu/003530.php
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