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ひどい家族から逃げ出して Cさん 27歳




東北地方出身。中学卒業後、上京。板前修業を経て、定時制高校に通うも中退。その後、地元に戻り製菓工場で派遣社員として働くが、工場閉鎖により職を失う。上京しネットカフェに泊まりながら職を探すも見つからず、路上へ。





今でいう虐待、受けてたんです。父親の暴力もあったけど、何より無視されてたのがきつかったですね。弟が生まれてからひどくなって、「勝手にやりなさい」って母親に言われて……飯に呼んでもらえない。家族がいない時間、一人で残り物とか食べてました。父親は自衛官なんですよ。自衛隊なんて死んでも行きたくないのに、『中学出たら自衛隊入れる』って毎日どやされてました。

そんな状況を中学の担任だけは知ってたんです。それでいよいよ進路を決めなきゃいけないって時に「東京に先生の知り合いがやっているお寿司屋さんがあるんだけど働いてみないか」って勧められたんです。「高校はいつでも行かれる。親元を離れるほうが先だ」って言ってくれて、親に直談判してくれました。




15歳から修行始めたんですけど、学校行きたいってずっと思ってて……。板前は自分で選んだ仕事じゃないって思いもあった
んで、やりたいことを探す意味で20歳の時、定時制高校に入学したんです。その担任が手続きとかいろいろ教えてくれました。でも寿司屋は夜仕事あるから定時制通えないんで、それで辞めて新聞奨学生になって住み込みで働きながら、高校に通うことになりました。でも結局仕事忙しすぎて、高校は卒業できず、1年で辞めちゃったんですけどね。




ある時、元担任からしばらくぶりに連絡が入ったんです。何かと思ったら、「両親が離婚するとかで、母親が会いたがっている」ってことだったんですけど、でも連絡しませんでした。それから半年くらい経って、東京での仕事がうまくいかなくなったんで、地元で仕事探そうと思ってすごい久しぶりに帰ったんです。実家がどうなってるか見に行ったら、家があった場所は「売地」になって、住んでた家は跡形もなくなってました。今家族がどこでどうしているのかわかりません。まあ自分には関係ないことなんでどうでもいいですけど。




地元に戻ってからは、製菓工場の機械オペレーターの仕事をしてました。いわゆる製造業派遣です。派遣の世界は厳しい弱肉強食の世界。自分の持ち場を与えられたら「ちゃんとできます」って強くアピールしないとほかの派遣にとられちゃう。工場でも作業によって死にそうにキツイものと比較的楽なものがある。立場が弱いとキツイ作業にまわされたり、いろんな持ち場をグルグル回されちゃうから、仕事が覚えられなくてヘマするっていう悪循環に陥るんです。

5年経った時、工場の中国移転が決まって閉鎖になっちゃったんです。遅配されてた給料も結局支払われず、寮を出るしかなかった。地元で仕事探すより、東京でネットカフェに泊まりながら探した方がいいと思って上京。でも結局見つからなくて所持金ゼロになって、路上に行くしかありませんでした。




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