大阪市西成区、「日雇い労働者の街」として知られる釜ヶ崎。最近では「あいりん総合センター」の閉鎖をめぐる反対運動がニュースで報じられているが、そもそも近年の釜ヶ崎はどんな状況になっているのだろうか。
2019年2月下旬に実施された「釜ヶ崎ツアー」をレポートする。案内してくださったのは、釜ヶ崎に暮らして50年、この街の盛衰を知り尽くしている水野阿修羅(みずの あしゅら)さん。ご自身もかつては日雇い労働者だったが、NPOのスタッフを経て65才で定年退職、現在は生活保護で暮らしている。
「一度も正社員経験ないから年金ゼロなんです」
優しげなほほ笑みを見せる阿修羅さんだが、多少血気盛んだった頃もあったと言う。紫色に染めた髪はなかなかのインパクトだが、NHKをはじめとしたメディアが釜ヶ崎を取材する際のアテンドを何度も経験されるなど、ガイドはお手の物のようだ。
阿修羅さんの説明を聞きながら歩いていると、さかんに「かつては」と「今では」と比較して話されることに気づく。かつてというのは、1970年の大阪万博景気に沸く大阪に日本中から労働者が集まり、日雇い労働者が数万人規模で暮らしていた、いわば釜ヶ崎の最盛期のこと。今ではというのは、そんな労働者たちの多くが高齢化し、さまざまな点でかつての勢いを失くしたここ10年ほどのこと。
かつては労働者の数も多かっただけに、特に夏場は涼をとる人が路上に溢れ、諍いも多く、頻繁に警察署の窓ガラスが割られるなど「荒れて」いた。それが今では、道路に監視カメラが多数設置され、路上の角々に立っていた覚せい剤の売人は姿を見せなくなり、安宿(ドヤ)のみならずインバウンドに特化したシティホテル建設も続く…といった具合だ。
特にこの5年ほどで設置がすすんだ防犯カメラ
2019年3月からはいよいよ、JR新今宮駅前に、リゾートホテルや高級温泉旅館の運営で知られる「星野リゾート」のホテル建設が着工する(2021年10月完成予定)。釜ヶ崎は現在進行形で大きく変わろうとしている。
JR新今宮駅前。この建物の手前の更地部分が星野リゾート建設予定地
築100年以上の古い住居が建ち並ぶ一角
働く:仕事の斡旋数も大幅縮小、「あいりん総合センター」の閉鎖をめぐる反対運動
釜ヶ崎での日雇い労働者たちは、この街を象徴する建物「あいりん総合センター」1階にある、通称「寄せ場」に早朝5時台に集まり、トラックでピックアップに来る業者から仕事を斡旋してもらって建設現場などに出向くーこれがつい最近まで、長年続いてきた、この街の仕事の見つけ方。日給は大体1万円ちょっとが相場だ。
長らく「寄せ場」となってきたあいりん総合センターの1階
そのトラックの数も最盛期は200台ほど来て、仕事も取り合いになったものだが、最近では50台ほどまでに減り、労働者の数が足りず業者の方が困っているという。おまけに若手の労働者は携帯電話で仕事手配が完了するため、このようなアナログな斡旋方法の世話になるのは高齢の労働者ばかりだと。
「あいりん総合センター」の3階部分は、仕事のない人たちの日中の居場所でもあった。このように多くの日雇い労働者たちの中核拠点となってきた「あいりん総合センター」だが、以前より建物の老朽化、耐震性の問題が指摘されており、ついに2019年3月31日をもって閉鎖されることになった。同じ場所に新施設が建てられる2025年まで、「寄せ場」は仮移転先での運用が予定されているが、規模縮小は必至のため、長い間ここを生活の拠点としてきた日雇い労働者ならびにホームレス状態の人たちにとっては厳しい事態。閉鎖当日にはシャッターの下に座り込むなど一時は100人を超える人が集まり、その後も1階にテントを張って泊まり込むなどの抗議を続けている、と報じられている。「不法占拠にあたる」と主張する大阪府・国側とのにらみ合いは現在(2019年4月26日時点)も続いている。
2月時点撮影。「応援しまっせ!あなたのやる気」の垂れ幕
「あいりん総合センター」内にある「大阪社会医療センター附属病院」では、ホームレス状態などの理由で困窮していれば、保険無しでも無料・低額で診察を受けられる(入院も可)。現在、荻之茶屋小学校跡地に新しい建物(約80床)を建設中で、2021年春に新しい場所に移転予定。
あいりん総合センター閉鎖の反対を訴える掲示
また、建設現場などの肉体労働が厳しくなった55才以上の人向けに、大阪市が提供している道路清掃や芝刈りなどの仕事もある。こちらは1日4時間の労働で賃金は ¥5,700(2019年4月時点)。時間給としては決して悪くないが、仕事がまわってくるのは週に1度か2度。これだけで生活をやりくりするのは厳しいため、自転車の荷台を改造して「アルミ缶集め」をしている人も多いそう。
かつては野宿者のテントがいっぱいだった三角公園。毎年恒例「釜ヶ崎夏祭り」の会場でもある。
寝る:シェルターか安宿か野宿か、インバウンド特化型ホテルも登場
ホームレスの人たちの大半は、大規模なシェルター(簡易宿泊所)で寝泊まりしている。大阪市の委託事業として「釜ヶ崎支援機構」が運営しているもので、最大収容人数は532人。ここに泊まるには、毎日17時半から配布されるチケットを入手する必要がある(先着順)が、チケットさえ入手できれば、名前や年齢を聞かれることなく宿泊することができる。今でも、このチケットめがけて毎日250人ほどが列をつくっているそう。ちなみにお酒を飲んでいる人はチケットをもらえず、館内での飲酒も禁止だ。
シェルターの内部について解説する水野さん
雑誌『ビッグイシュー日本版』の仕入れは、シェルターの前にある釜ヶ崎支援機構でもできる
飲酒を我慢しづらい人や集団生活が苦手な人、またチケット配布に間に合わなかった人などは、安宿に泊まるか野宿することとなる(最近の釜ヶ崎地区での野宿者は50人ほど)。安宿の相場は1泊2,000円前後、なかには500円のところもあるが、エアコン・トイレ・窓なしという、夏場はかなり過酷な環境だ。
かつてこの街にはオールナイト上映の映画館があり、冷暖房完備だったため宿代わりに使う人もいたそうだが、フィルムからデジタルへの移行に設備投資できず閉館となってしまった(ちなみに、オールナイト3本上映のシステムは「新世界国際劇場」に引き継がれている)。
ホテル事情もかつてとは違い、日雇い労働者向けの安宿(ドヤ)だけでなく、ターゲットを異にするホテルが混在するようになっている。売春を防ぐため「女性お断り」だったが近年のバックパッカーの需要高まりを受け「レディースフロア」を設けた宿もあれば、2017年にオープンした「FP HOTEL」などは、安宿エリアの目と鼻の先にあるにもかかわらず、1泊7,000円〜と一般のシティホテル並み。ターゲットはもっぱらインバウンド観光客なのだ。
FP HOTEL
60年代に増えた個室タイプ(1畳ほど)の安宿。各階が2段に仕切られているため、個人のスペースは押入れ上下の半分程度。「元祖カプセルホテル」と水野さんは笑う。各部屋に柵が取り付けられているのは、薬物依存症の人などが飛び降りないようにするためだったそう。だが、火事の時に窓が使えないため逃げ切れないケースが相次ぎ、最近は柵の取り付けが法令で禁止されているとのこと。
地方に長期出稼ぎに出向く人がいったん安宿を引き払い、炊飯器など生活道具一式を預けていくため、コインロッカービジネスの需要が高いのが釜ヶ崎の特徴
この通りの先、ライトが連なるエリアが日本最大級の遊郭「飛田新地」。1957年施行の「売春防止法」以降は「料亭」と名前を変えているものの、実態は以前と変わらない。水野さんいわく、正月シーズンには行列ができ、交通整理が出るほどの賑わいを見せるとのこと。利用料は日雇い労働者の日当が相場とされている。
ドヤ街の真ん中にある図書館「新今宮文庫」は、労働者たちの読書ニーズを満たす貴重な場となっている
釜ヶ崎のいま
高齢化の余波
このように、最盛期の勢いはなくなっている釜ヶ崎ではあるが、やはりこの街の物価の安さを求めて流れ着く人は今も絶えてはいない。生活保護を受けている高齢者の割合も増えており、「高齢者専用アパート」も増えている。ヘルパーサービスの需要も生まれ、男性ばかりが暮らすこの街で女性を見かけるシーンも増えてきたとか。しかし、西成という街への偏見からヘルパーが集まりにくいこともあり、ベトナム人など外国人技能実習生を取り込んでいく必要性が議論されているが、ヘルパーには高度な語学レベルを求められることもあり苦戦している状況、と水野さんは言う。
ひきこもりからホームレスに、社会経験のない若者の存在
街全体として高齢化がすすむ一方、近年、NPO「釜ヶ崎支援機構」が運営しているシェルターには若い人の姿も現れ始めているという。彼らの多くは非正規雇用を転々とするなど就労が不安定なため「ネットカフェ難民」状態にあった人たちや、精神疾患や何かしらの障害があり、ひきこもりがちだった人たち。身寄りがなくなり、住むところがなくなり、ホームレス状態にならざるを得なかったケースなどだ。しかし彼らは、かつてこの街に流れ込んできた労働者たちと違い、社会経験が少ないためコミュニケーションが苦手で、体力もないため日雇いの肉体労働も難しい。そこでこのNPOでは、一軒家を借り、食事会を開催するなどして、彼らがコミュニケーション力をつけるための取り組みもおこなっているそう。
ドヤが建ち並ぶ釜ヶ崎のほんの少し先には日本一の高層ビル「あべのハルカス」がそびえ立っている
こどもの里
釜ヶ崎は今や独り身の男性が大勢を占める街だ。かつては家族暮らしの人も多くいたそうだが、行政が家賃無料の家族寮を用意し、そこで生活する間にお金を貯めて、この街から出ていくことを奨励したため激減。その寮はすでに役割を終えたため取り壊され、跡地ではホテル建設がすすめられている。このような背景から、子どもの人口は少ない。しかしながら、この町で暮らす子どもたちはいて、中には難しい事情がある家庭もある。
そんな子どもたちや親に、遊びと学び、休息の場を、40年も「利用料無料」で提供しているのが「こどもの里」という施設だ。この日街を歩いていても、子どもたちのにぎやかな声が聞こえてきた唯一の場所だった。さまざまな事情を抱え、「しんどい」状況にある親や子どもらを寛大に受け入れ、寄り添い、時には叱り、ひとりひとりの成長を見守ってきたこの施設。
その日常は、ドキュメンタリー映画『さとにきたらええやん!』に詳しく描かれており、釜ヶ崎の労働者たちのそばで生きる子どもたちの逞しさに胸を打たれる作品だ。
映画『さとにきたらええやん!』予告編
映画『さとにきたらええやん!』自主上映会について
それに伴って周辺道路が整備され、路上生活者が学校周辺で布団を敷いて寝る事態も発生。それに対し、学校側は放水設備を設けるといった攻防もあったそうだ。
格子の向こうに銀色の放水用パイプが見える
この学校では小1からタブレットを配布するなどハイレベルな教育を売りにし、校区に関係なく通えるとしているが、開校から4年が経過した現在、生徒数は小中あわせて400人ほど(※)とのこと。
※平成29年度5月時点で465人(大阪市ホームページより)
かつては落書きが溢れる街だったが、それらをウォールアートにして観光資源にしようとする動きもある。
教会
ドイツ系のルーテルキリスト教団体が運営するアルコール依存症の更生施設「喜望の家」。釜ヶ崎はキリスト教系の支援団体の存在感も大きいとのこと。
アート表現と生きることをつなぐ場所「ココルーム」
もう一つ、この街の「今」をつくっている場所のひとつが、NPO法人「こえとことばとこころの部屋」が運営しているカフェ兼ゲストハウス「ココルーム」。詩人としてアート畑で生きてきた上田假奈代(かなよ)さんが、「表現」と「生きる」ことの関係性を深めたいとの思いから2003年に立ち上げたスペースだ。
代表の上田さん(手前、赤い着物の方)から話を聞くビッグイシュー関係者
「生きることはそれ自体が『表現』だと思ってます。なので、表現すること、すなわち芸術活動をすることは何もアーティストが独占すべきものではないと思ったんです。困難な状況を生き抜いた人たち、生きづらさを抱えた人たちがこころを開いて表現するものに、こころうたれるんです。そして、表現されたときに応答がおこり、それぞれの人生が変わり得る、そのプロセスに立ち会っていたかった」と語る上田さん。
表現ワークショップの成果作品
場をつくるにあたってこだわったのは、いろんな人がうっかり入ってこれるよう「カフェ風」のスペースにすること。すると案の定、お金がない、仕事がない、病院はどこへ行けばいいのか、家出人を探してほしい、何をしていいかわからない… さまざまな悩みが持ち込まれるようになった。当然、上田さんだけでは解決できないので、必然的に地域にいるさまざまな専門家とつながっていったと言う。
このカフェのメニューは「みんなで食べよう!まかないごはん」。一般の利用客に加え、ゲストハウスに宿泊している人、ここで働くスタッフもが同じ食卓を囲み、「みんなで食べる」をコンセプトにしている。この日も野菜をふんだんに使ったおばんざいや炊き込みごはんがずらっと並び、初対面の人たちと大皿から取り分けるスタイルでいただいた。料理の美味しさも相まって、テーブルのあちこちでごく自然に会話が始まる「出会える」カフェだ。
ココルームのあちこちに飾られているアート作品はすべて、さまざまな事情で釜ヶ崎に流れ着いた人たちによるもの。スーパーのチラシで作ったという精巧なオブジェ、味わい深い書道作品…「誰にでも表現をさしだし受けとめられる場所があればいい」という上田さんの言葉が腑に落ちてくる。
事業安定化のため、2016年からはゲストハウス事業も始めた。多くのボランティアの手で仕上げたという内装はなんともアーティスティックだ。菜園もあれば、図書室もある。長期逗留する旅人(半分は外国人だそう)と釜ヶ崎で暮らす人々らが出会う場が生まれ、英単語を勉強し始める人たちもいるとか。
カラフルな庭
ゲストハウスの部屋は「詩人の部屋」「俳人の部屋」など1室1室ユニークなテーマがある
詩人の谷川俊太郎さんもココルームに滞在し、詩を残されている
またNPO法人ココルームでは2012年より、「学びあいたい人がいれば、そこが大学」をコンセプトとする市民大学「釜ヶ崎芸術大学」を運営している。多彩な講師を招き、年間約100の講座を開催するなど活発な活動を展開している。困窮者は無料参加が可能、余裕のある方にはカンパをお願いするかたちで運営している。
2018年11月、上田さんはその「釜ヶ崎芸術大学」として英国マンチェスターで開催された「ホームレス・アートカンファレンス」に参加した。その時にマンチェスター市長がスピーチで、「ホームレス支援というのは、マズローの法則(*)ではなくジグソー・モデルであるべきだ」と述べるのを聞き、我が意を得たと言う。つまり、人は住居や仕事などの下層欲求が叶えられてはじめて「自己表現」したくなるのではなく、「自己表現」「出会いの場」「居場所」というものも大切なパズルのピースであり、支援するうえで同時並行的に提供していくべきという考え方だ。
*人間の欲求は生理的欲求、安全性欲求、社会的欲求、自我の欲求、自己実現欲求の順に進行するとする欲求の5段階説。
ジグソーモデルのイメージ図
その人の「問題」ではなく「強み」に注目し、一緒に場をつくり時間を過ごす。生活の中にそういう場があることで、また行きたい、会いたい、そのために健康になっていこう、お風呂に入って身ぎれいにしようと気持ちが前を向く。「その日暮らしで孤立したら、自暴自棄になるのも当たり前。だからこそ気持ちの変化がとても大切」と上田さんは言う。
ココルームでは2019年も、井戸掘りやホームレスダンスチーム「ソケリッサ」とのコラボなど、盛りだくさんなイベントが予定されている。
釜ヶ崎芸術大学 2019 の予定表
http://cocoroom.org/project/kamadai2019/19kamaSS_PDF_0315.pdf
ココルーム公式サイト
https://cocoroom.org/cocoroom/jp/index.html
釜ヶ崎の「かつて」の最盛期をもたらした1970年の大阪万博。あれから約50年が経ち、大阪では再び2025年に万博開催が決まっている。だが、高齢化がすすみ、日雇い労働の仕事斡旋でもデジタル化が進む今、この街に再びあの頃と同じような活気がもたらされるとは考えにくい。
とはいえ、治安は改善されており、この日のツアーでも荒れたような様子は見受けられなかった。関西国際空港からのアクセスの良さも手伝って、今や外国人観光客の滞在拠点として注目されるまでになっている。来阪外客数は2018年度で約1,142万人、2014年度と比較して3倍にも増えている(日本政府観光局および観光庁資料より大阪府独自推計)。この街の人の流れは明らかに変わってきており、この流れは加速しそうだ。水野さんいわく、ココルームを訪れる若いアーティストが飲食店を開き、地域の人々の居場所、交流拠点を作るなどの動きもあるとのことだが、その一方で、ジェントリフィケーション(貧困層が多く住む地域に、再開発の影響で比較的豊かな人々が流入し、地域の経済・社会・住民構成が変化すること)が進む危惧もあると表情を曇らせた。
上述の通り、時代の変化を受け、行政・民間企業・草の根とさまざまなレベルで新たな取り組みも起きている。変化の最中にあるこの街の今後の行方に注目してもらいたい。
文・写真:西川由紀子