「五反田団」前田司郎さん:日常をそのまま舞台にあげたい。芝居は格好いいことじゃない

日常をそのまま舞台にあげたい。芝居は格好いいことじゃない

前田司郎さんが主宰し、作・演出を手がける劇団「五反田団」の芝居は、不思議な吸引力をもっている。四畳半のアパート、大学、コンビニ、バイト先など身近な場所が舞台となり、観客をこれまで観たことのない演劇体験へといざなう。

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つくられた演劇に、もうワクワクできない

 「五反田団」の芝居では、役者は声に抑揚をつけず、日常と同じトーンでぼそぼそ喋る。また、終始だらしなくだらだらと立っていたり、ごろんと寝転がったままの人物もいる。役者は、職業俳優としての身体的なキレとは無縁のようで、まるで渋谷や下北沢にいる普通の若者のように見える。

 物語の進行も枠にとらわれない。作品に起承転結はあまりなく、始まりの派手さも終わりのカタルシスもない。観客は、ただ淡々と舞台の上の日常を目にするのみだ。

 前田さんはその作品同様、飄々とした様子でこう語る。「僕たちが今まで観てきた演劇は、起承転結や伏線をつくり、ラストに向かって盛りあがっていくものでした。でも、今はそれではもう、あまりワクワクできなくなっている気がするんです」

 では、どういう演劇を目指しているのか? なんと前田さんは「日常をそのまま舞台にあげたい」というのである。「そもそも、演劇は本来、祭事的な、非日常のものだったと思います。舞台美術や衣装に凝り、作品の世界観を日常から遠ざけるのは、役者が『何者か』になるためでした。でも、僕はそういうことに興味をもてないたちでして」と笑う。

 演劇をあくまで日常の合わせ鏡のように考え、日常を舞台にあげるという自身の作業を「現実にブラックライトで光を当てるような作業」と説明する。

 「日常の話し言葉や身体の動き、出来事をそのまま舞台の上にのせたいとは考えていますが、舞台にのせた時点で、それは日常じゃないわけです。紙一重違う。たとえば、物にブラックライトを当てると、普段見えないホコリやほつれが目立つじゃないですか。そんなことを見せていきたいという感じなんですよね」

 だから、役者の衣装もなるべく、本人が普段着ているものを着用してもらい、化粧や過度な飾りは極力しない。前田さんの思うリアルな日常を定着させることに腐心する。

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幸福な時代に生まれたからこそ、描きたいものがある

 そこまで日常にこだわるのは、育ってきた時代に関係があると前田さんは言う。

 「僕らの世代が育ってきた年代は、戦争や飢えも知らず、身体的な危機など一つもない時代でした。僕は東京が実家ですし、かなり幸福な環境で生きてきて、生活にそんなに不満もありませんし。でも、だからといって書くことがないわけではなく、むしろ恵まれた状況だからこそ、余計なことを考えてしまうんです。愛とは何か? 生きることって何? とか」。加えて、今が「敵が見えにくい時代」だからこそ、そのストレスが前田さんを「書きたいこと」に向かわせるともいう。

 「情報が何でもある現代、物事を確実な一つの考え方ではくくれない感覚があるんです。たとえば、東京の風景が変わっていって嫌だなと思っても、変えていく側の論理や根拠もわかってしまうんで、絶対悪と言いきれないみたいな。すべてが相対的で、シリアスなこともどうでもいいことも、どちらも確実なことではないと思わざるをえないんですよね」

 この、すべてを相対的に感じるという感覚は、前田作品の特徴でもある。前田さんが舞台や小説で描く日常には、荒唐無稽な設定が突然、現れることがある。しかし、どんな突飛な設定も、あたかもごく自然に当たり前にそこにあるように物語は進行するのだ。