“日本では、子どもの7人にひとりが貧困状態にある”-メディア等でたびたび取り上げられることもあるため、その事実をご存知の方は多くなってきたと思う。
しかし、「確かにそのくらいの割合だと思う」と実感を持っている人は、相当子どもたちに近い場所で活動している人か、支援活動をしている人などの少数派ではないだろうか。
なぜなら、ひと昔の「貧乏」と異なり、最近の貧困状態にある子どもは「ぱっと見ても、少し話しても、それとわからない」うえに、子どもたちは「助けて」と言うことは稀だからだ。それゆえに必要な支援が遅れ、子どもや若者たちは「この状況では仕方がない」などと希望を失ってしまいかねない。
豊中市社会福祉協議会主催で12月18日に行われた「子ども食堂(子どもの居場所)フォーラム」での湯浅誠さんの基調講演のエッセンスと、豊中市で始まりつつある「子ども食堂」の4つの例を紹介する。
湯浅誠さん
「戦後のほうがもっと貧乏だった」
「貧困と言ったって、死ぬわけではない」
「大学に行かなくたって、仕事はできる」への反論
「子どもの貧困」に対して、高齢の世代などからよく聞かれる声は「昔のほうがもっと厳しかった」「修学旅行に行けないからと言って死ぬわけではない」「大学へ行かずとも仕事はできる」といったものだ。湯浅さんはそういった意見があることも承知のうえで、問いかける。
たしかに死ぬわけではないし、昔に比べればずっと豊かな“貧困の子”がいます。貧困の世帯においては、子どもを修学旅行に行かせられない場合もある。
同時に、できることなら“死ななければいい”で済ませない地域と社会をつくっていければとも思います。
憲法には『最低限度の文化的な生活の保障』が記されていますが、同じ憲法には『幸福を追求する権利がある』とも書いてあります。
昔、「農民は生かさぬよう殺さぬよう」と言ったえらい人がいましたが、私は現代はその状態を克服していると思いたい。
“選択肢があるうえで、本人が選択しない”ならよいのですが、始めから選択肢がないというのは、子どもと私たちの未来を考えると、不安になります。
その状況について「修学旅行に行けないからといって、死ぬわけではない」ということを言う人もいる。そういう人にはこういう状況を想像してもらう。
あなたは高齢者で、年金暮らしをしているとします。生活に余裕はあまりない。
あるとき、昔とてもお世話になった人の訃報を聞いた。お葬式に行きたいけれど、交通費と香典を出すと生活がかなり厳しくなり、行けない状態。そうなったら、「あの人来ないんだね」と周囲に言われてしまう。周囲に言われなくても、本人がみんなに合わせる顔がないと思ってしまう。それをきっかけに、親戚づきあいや地域のつきあいから疎遠になって、人間関係が薄れていく。
たしかに、お葬式に出なかったからと言って死ぬわけではありません。でもそれはとてもつらいことだと思うし、できることならきちんと故人にお別れを告げられるとよいと思います。「修学旅行に行けない」という子に対しても、私は同じように思います。
小・中・高校生にとって、「修学旅行」は、旅行期間だけではない。
どこに行くかという事前の話し合いはもちろん、旅行期間中のこと、帰って来てからも同級生は思い出話で盛り上がる。そのコミュニティに入れなくなる。
修学旅行に行きたくても行けなかった子が、強がって「修学旅行なんて行ってられない」と言おうものなら、「あいつ何言ってんの?」とますます周囲と疎遠になる。そしてつながりが失われ、さらに輪から遠くなり、孤独になっていく。果たして、それでいいのだろうか。
湯浅さんが出会った「貧困状態」の高校生の声
講演中、湯浅さんはあしなが育英会に寄せられた高校生の声をスライドで紹介した。(下記はその一部)
電気代などを私のアルバイト代などを払っています。
家のボイラーの修理ができず、お湯が出ないので水のシャワーを浴びています。
女子@千葉
家族がぎくしゃくしている。
友だちと遊びに行けることが少なく、付き合いが悪いと思われがち。
男子@佐賀
お金がないので、昼食が買えないことがある。
金銭的な問題で家庭が崩壊寸前…
私は病んでしまって学校への遅刻欠席が増えるばかり。
精神科などへ行きたいが、お金がないので通えず病んだまま。
女子@東京
正直明日食べるご飯に困っている。
自分が早く自立できたらと何度もふさぎ込んだ。
男子@福岡
バイトなどの疲れで授業で寝てしまいがち。
成績も下がり、バイトの量を減らすなどしたい。
給料もっともらえたら、給料減らずに、休めたりできて勉強の時間も増えるし、 睡眠時間も今より増えるかなと思っています。
女子@福岡
この世に生まれてきてんから、腹いっぱい食べて大きくなりたい。この高校生たちと同じような境遇の子どもたちが、日本国内に7人に1人いるのだ。この状態の子どもたちを「適切な助けを求めるネットワークを持たないのが悪い」「自己責任だ」「死ぬわけではない」といったワードで片付けることは正しいことなのだろうか。
男子@大阪
子どもの貧困の定義
「これくらいなんだ、昔はもっと厳しい状態だった」と言う年配の方のために湯浅さんは「子どもの貧困」の定義を説明する。子どもの貧困は、「お金がない」だけではありません。「お金がない」に加えて、「つながりがない」、「自信がない」、という3つの状態が重なっていることを指します。問題が「お金がない」ことだけで生活が困難な状態にある人については、国や行政が最低限カバーするとして、しかし「つながりがない」「自信がない」という状態は、国や行政ではカバーしきれない。
「ただお金がないだけで、友人関係がいっぱいある」とか、「お金はないけど自信たっぷり」と言う人は、”ただの貧乏”です。”貧乏”と”貧困”は異なります。
本来は家庭において、「つながり」や「自信」を育むべきではあるが、貧困家庭においては親が多忙だったり、病気がちだったりすることから、それを期待することが難しいケースも多い。では、家庭のかわりに「つながり」や「自信」を育む“居場所”はどこなのだろうか。競争を強いるような学校ではそれは難しいだろう。
「居場所」の条件
「居場所」について、それが”幸運にも自分の育った家だった”という湯浅さんの「居場所」の定義はこうだ。1. 衣・食・住が満たされていること。
-何も生み出さない人に対しても、毎日。
2. 「体験」を提供してもらうこと。
-旅行や遊びや学びなど、やったことのないことを体験できる環境
3. 時間をかけてもらうこと。
-親に限らず、誰かに見守ってもらえていると感じられる環境
4. トラブルに対応してもらえること。
-たとえば体調が悪い時、怪我した時などに適切にケアにしてもらえる環境
「すべての子どもたちが家庭でこの4つが満たされていればよいけれど、足りない場合は地域や社会でフォローするのがよいのでは」と湯浅さんは言う。
“子どもの貧困”が与える社会への影響
子どもの貧困は「彼らの問題」ではなく「社会全員の問題」
“子どもの貧困”は社会や地域でフォローするべき問題だ、と言われても、ピンと来ない人は多いだろう。特に自分が若い時に貧乏を体験してそこから努力して這い上がった人には、貧困状態にあることを「気合が足りない」「自分の努力で何とかできるものだ」と考える傾向があるのではないだろうか。それは「気合を振り絞る力」「逆境を跳ね返す気力」という才能に恵まれていたに過ぎず、「息をする力」のように誰もが平等に持っている力ではないのだ。
特に努力して経済的に成功した人や、今のポジションを維持するのに大変な努力をしている人は、「努力できない人は、困難な生活になってもしょうがない」「敗者は転がり落ちるしかない」と感じているかもしれない。ただ、その考え方はさらに格差を促進してしまう。そうすると子どもの貧困は、対岸の火事などではなく、あなたの住む社会にも悪影響を及ぼし始めるのだ。
例えば下記のような影響が考えられる。
1) 子どもの貧困は経済成長を下げる
子どもの貧困率は、国際機関「経済開発協力機構:OECD」が各国の状況を同じ条件で調査したものを取りまとめている。「子どもの貧困」というと国連の人権理事会あたりが担当していそう…と思われるかもしれないが、実際には経済発展を目的としている(※)組織が旗を振って調査しているのだ。 子どもが貧困状態のなかで成長し、大人になって突然事業で大成功するなどしてたくさんの税金が払える状態になれる可能性は低い。したがって、社会の経済成長を目指すのであれば、「子どもの貧困」はそれを阻害する経済的な問題だと捉えているがゆえに実施されているのである。※(OECD条約第一条 「経済協力開発機構(以下「機構」という。)の目的は、次のことを意図した政策を推進することにある。 (a) 加盟国において、財政金融上の安定を維持しつつ、できる限り高度の経済成長及び雇用並びに生活水準の向上を達成し、もつて世界の経済の発展に貢献すること。」より)
2) 格差が進むと、社会は発展しない
適度な格差であれば、行き過ぎた格差は社会の足を引っ張る。格差が大きい社会ほど・健康水準が低い
・暴力的
・社会的結束力が弱い
・10代の妊娠が多い
・肥満率が高い
・囚人数や殺人事件も多い
と言われている。
(リチャード・G・ウィルキンソン『格差社会の衝撃―不健康な格差社会を健康にする法』より)
つまり、格差社会を放置することは、極端に言うとあなたが働いて納めた税金が、本来はかからなかったはずの医療費に余計に費やされ、社会はギスギスし、女の子たちは望まぬ妊娠をし、通り魔に遭う確率も高くなることにつながるのだ。
定員150人のホールは満席となり、別会場が設けられ映像中継された。
湯浅さんが社会活動家になった理由
湯浅誠さんは講演の途中で、自分が社会活動家になった理由を話した。湯浅さんの兄は、車椅子を使う障害者だ。
40年近く前は、車椅子で街を移動する人はまだ珍しい時代だった。
湯浅さんは幼いころから兄の介助で車椅子を押してきたが、兄は通行人とすれ違わないように、前方から人が来ると「曲がってくれ」と湯浅さんに伝えてきた。
そのため、近くにある施設から家まで、いつも遠回りをしていたという。
「何も悪いことはしていないのに、どうして堂々とまっすぐ行かないんだろう」という気持ちがあり、ある時兄の希望を無視して曲がらずに進み、通行人とすれ違った。
そのことに激怒した兄に、「兄の言う通り曲がるべきだったのか」「曲がらないことでよかったのか」と悶々としたが、出た結論は「曲がる、曲がらない、どちらも間違っている。間違っているのはジロジロ見る社会のほうだ」というものだった。
障害を持つ人も、堂々と胸を張れる社会にする事が自分の仕事だと考えたのだ。
貧困状態に置かれた子どもたちにも同様で、子どもたちは何も悪いことをしているわけではないのに、胸を張って堂々とすることができない。
貧困状態にある子どもたちが堂々とできる社会をつくるために、周囲の大人は何ができるか。それを考え続けてきたという。
「4つの条件」を満たす居場所を地域でつくる
湯浅さんは金銭面の困難のサポートは国や行政が主に担うとして、必要なのは「つながりがない」「自信がない」という子どもたちを民間でサポートすることだという。「つながりがない」、「自信がない」という子どもたちは、先ほど挙げた「4つの条件」を満たす居場所を用意することで支えることができる。
それは、「子ども食堂」かもしれないし、「無料塾」や「町内会の集まり」かもしれない。
家庭で担いきれないことを、地域の大人たちができる範囲でカバーすればよいのだ。
近年子ども食堂がブームとなり、「とにかく食事を提供する」ということに躍起になるケースもあるようだが、そんなときは少々立ち止まって「子ども食堂」と「ファーストフード」の違いを考える必要がある。
温かい食事・カロリーを安価に提供する、ということは共通しているとしても、「見守ってもらっている実感」はファーストフードでは育まれることはほとんどないだろう。
ファーストフードの店員に「最近体の調子どう?」「元気ないね」などと声をかけてもらうことは、まずない。ファーストフードはそういう「対話」を極力削って効率化することで利益を上げるのが目的だからだ。子どもにとっての居場所を提供するなら、先ほど挙げた「居場所の4つの条件」を意識してみたい。
たくさんの大人が関わることで、地域の「網目」が密になり、こぼれる子どもが減る
「子ども食堂に関わるなんて、そんなのは意識高い人のやること」「自分が子どもたちにしてあげられることなんてない」などと思うことはない。特別なことをする必要はなく、「いろんな人がいること」を子どもに示すことが大切なのだ。
湯浅さんは「いるだけ支援」を推奨する。
貧困家庭においては、「働いている大人を見たことがない」「大学に行った人が身近にいない」という子どもも少なくありません。そんな子どもたちには、「フツウ」の大学生も、会社員も、「自分の家庭を相対化し、世界を広げる体験」になりえるのです。たくさんの大人が参加することで、一人ひとりの子どもに目が届きやすくなる。すると”人生に選択肢がない”と感じてこぼれ落ちる子どもを減らすことができる。
黙っているだけでもいいんです。それだけでも、「ガミガミ言わない大人もいるんだ」ということを知ることができる。
「自分の家庭とは”当たり前”が違う人もいる」と知ることが大切なのです。
関わる大人が増えることで、価値観の引き出しが増えます。価値観が増えると、選択肢が増えるのです。
運営側から見た場合も、関わる大人が増えることは一人にかかる負担が減って持続可能性が増す。そしてまだ参加したことがない子どもにも「居場所がある」と伝わりやすくなる。
さらに”子どもにとっての居場所”は、現役を退いた後の”大人にとっての居場所”にもなりえる。子ども食堂は、多世代型の交流拠点となりうるのだ。
→シンポジウム「子ども食堂で大人がかかわる 地域が変わる 豊中子ども食堂の4つの例」に続く
▼湯浅さんが率いる「全国200のこども食堂とともに、保険加入をすすめるプロジェクト」クラウドファンディング2018/04/03-6/21まで実施
ビッグイシューもリターン品を提供しています。
https://camp-fire.jp/projects/view/68605
湯浅 誠(ゆあさ まこと) 1969 年東京都生まれ。東京大学法学部卒。1995 年よりホームレス支援、生活困窮者支援に携わる。2009 年から足掛け 3 年間内閣府参与に就任。内閣官房社会的包摂推進室長、震災ボランティア連携室長など。政策決定の現場に携わったことで、官民協働とともに、日本社会を前に進めるために民主主義の成熟が重要と痛感する。 現在、法政大学現代福祉学部教授の他、NHK第一ラジオ「マイあさラジオ」、文化放送「大竹まことゴールデンラジオ」レギュラーコメンテーター、朝日新聞パブリックエディター、日本弁護士連合会市民会議委員。講演内容は貧困問題にとどまらず、地域活性化や男女共同参画、人権問題などに渡る。著書に『「なんとかする」子どもの貧困』(角川新書、2017 年 9 月刊)、『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日文庫)、第 8 回大佛次郎論壇賞、第 14 回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞した『反貧困』(岩波新書)、『貧困についてとことん考えてみた』(茂木健一郎と共著、NHK 出版)など多数。 |
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