木原雅子さんが語る「WYSH(ウィッシュ)プロジェクト」
さまざまな問題を抱える10代の子どもたち。彼らに「WYSH教育」を行う社会疫学者の木原雅子さん(京都大学大学院准教授)に、自分で考え切り拓く、こころの自立を目指す「WYSH教育」について聞いた。
1回のかかわりに賭ける。授業準備に数ヵ月
静かに席に座っていることさえもままならなかった生徒たちが、教室のスクリーンに映し出される映像を食い入るように見つめ、身を乗り出して講師の話を聞いている。たとえば、性教育の授業では、性病にかかった痛みはサッカーの練習中に股間を蹴られた痛さに匹敵すると説明されると、教室に爆笑が沸き起こる。いのちの教育の授業では、いじめなどのつらい思い出に涙を流す生徒や、熱心に自分の思いを語り、文章にしたためる生徒たちの姿が印象的だった。
これは、木原雅子さんが小中高生を対象に展開している「WYSH(Well-being of Youth in Social Happiness)プロジェクト」の授業の一場面。その映像を見て、徹底的につくりこまれた授業の新鮮さとおもしろさとに心から驚いた。
この1回の特別授業のために、準備に費やす期間はなんと数ヵ月という。普段は無機質な教室の机の上にきれいなクロスを敷き、花を飾る。授業のテーマカラーを設定したり、いつもジャージ姿の先生に一張羅を着てもらうなど、あとになってからも、その授業を鮮明に思い出せるような仕かけが盛り込まれている。
その学校の、その生徒たちのためだけのオーダーメイドの授業をデザインします。単に知識の伝達ではなく、最終的に子どもたちが自分で考え行動できることを目指しているので、一回のかかわりでグッと相手の心を動かさないといけません。そのためにはこちらも全力投球。プロの研究者として、もっているすべての技術を使います。
対象校は公募して、WYSH教育のニーズが高いと思う学校を全国から選ぶ。学校が決まると、授業予定日の数ヵ月前に訪れ、生徒たちの様子を知るためのアンケート調査と、実態の詳細な背景を調べるためのインタビュー調査を実施。その結果をもとに、教材の開発に力を注ぐ。授業後は、その効果についての評価も徹底して行うという。
授業全体の構成、使用するパワーポイント、DVD、教室の雰囲気づくりなど、すべてを綿密に準備。教材に挟み込むキャラクターや授業時のBGMにも、アンケートから浮かび上がった生徒たちの価値観、好みを反映させます。普段の授業で自分の意見を言ったことがない子も、作業開始の緊張した時に、自分の好きな曲が流れていると、誰でもエンジンがかかるでしょ? しかも自分の身近なテーマで、どんなことを書いても笑われないような発言しやすいしかけをつくるんですよ。もちろん最後につくる映像もその子たちに向けてのオリジナルです。
夢と希望をもてる子ども、二階建て方式で育てる
こんな話を聞いていると、木原さんはまるで教育者のようだが、実は社会疫学を研究している。
今のところ、社会疫学を研究しているのは世界で私たちだけなんです。社会疫学を簡単にいうと、ソーシャルマーケティングを基礎として、医学と社会学を完全に同レベルで統合するというものです。統計学に基づいた量的研究(アンケート)と質的研究(インタビュー)を融合して現状を把握し、対象者のニーズと価値観を理解することで、より効果的なプログラムを組み立て、その指導方法を研究開発しています。
そもそも、このWYSHプロジェクトが生まれたきっかけは、エイズの疫学研究にも従事していた木原さんがエイズ予防教育にかかわったことだった。
2002年当時、90年代から急上昇していた高校2年生の性経験率が40・9パーセントとピークを迎えていたという。99年に経口避妊薬のピルが解禁になって、00年代の初めには性感染症やエイズが増加、10代の中絶も大幅に上昇する。
木原さんはその時、性教育の必要性を痛切に感じ、エイズ予防教育をスタートさせる。
まずは全体を把握するためのアンケート調査と、その人がなぜその行動をとり、その課題を抱えているのかを知るためのインタビュー調査の2つを徹底して行いました。すると、どの地域の学校でも、生徒たちのインタビュー中に〝イジラレキャラ〟という言葉がよく出てくるようになり、子どもたちの間で〝いじめ〟が広がっているのではないかと危惧するようになったのです。
<後編「性行動やいじめ、コミュニケーション力の低下…問題行動の根本から関わる教育方法を」を読む>
(2013年12月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 228号より)