今回は「ダイバーシティ・フットサルカップ」を発案者である長谷川知広の想いについてお伝えしたいと思います。
自分を認めるということ
私は2年半ほど前にパニック障害となりました。いま思うと、その理由は、15歳の時、母が精神疾患を患い亡くなり、そのことから目を背け、前だけを見て生きてきたのが、息子の誕生を迎えるにあたり自分の生い立ちや生き方を見つめることから避けられなくなったことが大きかったのだと思います。
パニック障害になってからは、なぜあの日、母に優しい言葉をかけられなかったのか、自分が産まれていなければ母は生を全うできたのではないか、15歳以降自分は何をしてきたのかという自己否定とフラッシュバックの連続でした。
ただ、息子が産まれ、ともに時間を過ごす中で、母と自分にも、今の自分と息子、妻と過ごしているような尊い時間があったことを知りました。
自分は今でも夢で、テレビゲームのように人生もやり直せたら良いのに…そんな夢をよく見ます。きっと、後悔や悲しさはこれからも消えることはないのだろうと思います。
でも、母の死や息子の誕生、病気があって今の自分はできていて、こうした経験があったからこそ出会えた人や心から幸せだと思える時間があるのも事実です。
自分と他者を認める社会へ
今回、チャレンジする「ダイバーシティ・フットサルカップ」には、ホームレスの人だけでなく、不登校やひきこもり、うつ病など様々なバックグラウンドをもつ当事者の人に参加してもらう予定です。
今の社会では、ホームレス、不登校、うつ病といった言葉がネガティヴなイメージをもって伝えられています。でも、綺麗事かもしれませんが、彼ら彼女らのその経験をしたからこそもつ力や可能性があると自分は思っています。
社会や本人が自分の置かれた境遇や生きてきた道を否定するのでなく、その経験を受け止め、また他人のことを知り、支え合っていける社会にしていくきっかけにできればと、大会のタイトルをダイバーシティとし、様々な背景を持つ人に参加を呼びかけています。
また、私は今、多くの人に支えられ生活をしていますが、人に何か相談するということは、決して、簡単な事ではないと思っています。
自分を救ってくれたのは、人との出会いやスポーツでした。
*写真:韓国にてサッカー(撮影:高松英昭)
スポーツは、プレーをしている間、立場や過去を忘れ今に心をそこに置く事ができます。チームメートとの何気ない会話や存在も救いとなっていました。
サッカーやスポーツは競技性だけでなく人と人が出会いつながる可能性をもっています。
いろんな人がいて良い。
一緒にプレーをして汗を流し、話す。
もっと、もっと、そうした機会を増やしていきたい。
でも、残念ながら、自分にはサッカーを教えるスキルも、上手に大会の趣旨や目指すところを言葉にする力がありません。自分にできるのは、場を開くこと、続けていくこと、力を借りることです。大会の実施に向けて、その先の活動に向けて力を貸して下さい。
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