それぞれの世界へ羽ばたくひきこもり当事者・経験者たち~ひきこもりの全国集会より(3)~

 2月25日・26日に大阪府豊中市で開催された、ひきこもりにかかわるイベント「若者当事者全国集会」のレポート(3/3)です。
第1部ーPart3からエッセンスをご紹介します。

「当事者同士がつながって力を出していくのが大事」/林恭子さん・恩田夏絵さん:ひきこもりUX会議(神奈川)

ビッグイシュー299号の特集「ガールズサポートのいま」にも登場いただいた、当事者団体「ひきこもりUX会議」の林恭子さん。生きづらさを抱えている女性たちが安心して集まれる場所として「ひきこもり女子会」を主催しています。

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(「ひきこもりUX会議」の林さん)

林さんは高2の春に不登校になり、4年間自宅にひきこもりました。
通信制の高校や大検を経て大学に進学するも、1カ月で通うことができなくなり中退。アルバイトを始めるも自分の人生に絶望、未来がないと思い、20代半ばで再び2年間外に出られず。そこから10年かけて、信頼できる精神科医との出会いや、当事者経験者、親、支援者が対等な立場で話をするという場を経て、徐々にこの社会で生きていこうという気持ちが出てきたと言います。

これまでひきこもり界隈における居場所や集まりには、ほとんどの場合、男性の参加者が9割以上を占め、女性が安心して集って話し合える場所はありませんでした。そのため、自分で女性のひきこもり向けのイベントを主催してみたところ、想像以上に多くの申し込みがあり、計10回の会で約400名の参加があったそう。

当事者が何を求めているのかを自分たちで伝えるという活動をしています。
支援する側とされる側で向きあうと、「もうちょっと頑張れば」とか「とりあえず働いてみたら」と上から目線で言われているように感じてしまう。
横に並び同じ未来を見たり、ともに生きていく、といったりした支援でないと、当事者には届かない。もちろん支援者にも同じ目線に立てる人はいるかもしれないけれど、当事者同士がつながって力を出していくのが大事だと思います。

ありのままに生きていける社会でないと、課題は減らないと思います。
みんなで誰もがそのまま生きていける社会をつくるには支援する側、される側という関係では難しいと思っています。

そして話は「ひきこもりUX会議」のスタッフ、恩田さんにバトンタッチ。
恩田さんは今でこそ老舗のNGO、ピースボートで働く職員ですが、かつては小学校の頃からひきこもり、リストカットなどを繰り返していました。

とうとう自己肯定感がなくなり死ぬしかない…と思いつめ、自死を図る前にピースボートに乗ってみたところ、生きる力が湧いたと言います。そのままピースボートで働くようになり、11年目になったという恩田さん。

ピースボートの新企画として「ひきこもりの人と出会おう、10日間だけピースボートに乗ろう」という企画を進めているそう。横浜を出てシンガポール、プーケットで下船するというプログラムで、受講できる対象者はひきこもり経験者のみ、対象年齢は20歳以上とのことです。

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(ピースボート職員で、ひきこもりUX会議スタッフの恩田さん)

人と人が出会うことにはパワーがあると思っている。
みんなで生きづらい社会でどう生きていくかを考えるプログラムです。 (恩田さん)

私たちと一緒にどう生き抜くかアイデアを出し合ってみませんか。 (林さん)

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ひきこもりUX会議(神奈川)
ブログ:http://blog.livedoor.jp/uxkaigi/
Twitter: https://twitter.com/uxkaigi


ピースボートグローバルスクール

http://global-school.jp/blog/4423.html
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「自分の命は、生きていてほしいと思いあう人のもの」/鈴木美登里さん:NPO法人オレンジの会(愛知)

ひきこもり状態・障がいのある当事者と家族・兄弟姉妹の方への支援を中心に、東海地域で活動を行っているNPO法人オレンジの会。作業所型地域活動支援事業所の「交流広場ライフアート」、就労移行支援事業所の「情報センターNOAH」、就労継続支援B型事業所の「LAVITA」の3つを協同組合方式で運営しています。

現在は社会福祉士で名古屋市内の生活困窮者の相談窓口の相談員もしている鈴木さんは「60代のひきこもり・不登校経験者とは私のことです。ひきこもりを50年やっています。」と切り出しました。
小5、1学期までで、中学は1年間で、高校は1週間で不登校になったと言います。

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(「NPO法人オレンジの会」の鈴木さん)

ひきこもりは社会の課題なんじゃないかなと思っています。
グローバリズムによって、仕事が日本の中からなくなってしまった。
非正規雇用が増え、即戦力を求められるようになり、仕事に至るまでの訓練がありません。
パワハラに弱い人はいるのに、パワハラに強くなるための教育のシステムもない。

一人ひとりが点とすると、人と人が出会っていく関係性が地域。
ひきこもりの人は地域を持っていない。自分の命は、生きていてほしいと思いあう人のもの。
そう思って生き延びていく関係性、そのものが協同組合だと思っています。”

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NPO法人オレンジの会
〒453-0016 名古屋市中村区竹橋町17番9号 セサミタワー1F
TEL/FAX: 052-452-2536
http://orange-net.info/nagoya/
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「働くストレスに見合うだけの生きるエネルギーの源見つけたい」/町田弘樹さん:NPO法人ニュートラル(京都)

NPO法人ニュートラルは、京都府北部エリア対象のひきこもり不登校むけの「チーム絆」事業と、兵庫県丹波市で社会参加に困難を有する若者のサポート事業の2つの事業をしています。

町田さんは、現在46歳でNPO法人ニュートラルのスタッフをしていますが、18歳から、30歳で居場所へ行くようになるまでの12年間、ひきこもりを経験しました。
その後も37、8歳の頃、ノイローゼ気味になってしまって仕事を放り出し、実家に帰る途中で帰るのも嫌になってしまい、実家の手前の公園で段ボールにくるまって寝るようになったと言います。(!)

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(「NPO法人ニュートラル」の町田さん)

苦手行動、人に関すること、できない、怖いというものが目の前に現れると今でもそんな感じで回避してしまうんです。
でも、大事なのはそのショックがあった後に、いかに誰かに相談できるかということ。
そのあと自分の行動がどう変化するかで、人生が変わるのではないかと思っています。

その人が何年か先でも生きていけるエネルギーの源は何かと、目標とか楽しみとかは何かと一緒になって考えていく…というのがないと荒波の社会で働こうという気はとはさらさら起きません。
13万円稼いで家賃光熱費払ったら残り2、3万ですよ。
そのなかで家の更新料を貯めなければならない。
そのつらさ、働くストレスに見合うだけの生きるエネルギーの源を見つけられたら…
それが誰かの役に立てるのじゃないかと悩みながら考えているところです。”

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特定非営利活動法人ニュートラル
https://www.facebook.com/hikikomorhythm/
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「元ひきこもりが世界一周したったwww」/中村建二郎さん:NPO法人わかもの国際支援協会メンバー(大阪)

NPO法人わかもの国際支援協会(通称「わかこく」)は、<「違い」を価値に変える>を理念に「ひきこもり経験が6カ月以上ある方、もしくはその家族」によって、失業中の若者を中心に仕事創りを行っています。
「ひきこもることはあんまり問題だと思ってなくて。在宅ワークをやったらもっとひきこもれるやん、と思ってやってみたら何百万とか稼げてしまいまして、自分たちでやっていけるようになったんです」という横山代表が紹介したのは、わかこくのメンバーで、ひきこもり経験者の中村さん(22歳)。
世界一周の旅から4日前に帰ってきたばかりだと言います。

中村さんは小2から中3まで、不登校とひきこもりを繰り返し、トータルで5年は家にひきこもっていたと言います。中3のときに「さすがにやばい」「このままだと人生の先行きが不安」と思い、定時制高校に入りました。そこで出会った恩師に、大学を目指そうと言われ、一念発起。見事志望大学に合格します。

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(「NPO法人わかもの国際支援協会」メンバーの中村さん)

大学入学後、大学生になってみんなと同じところに戻っていこうとはしたけれど、自分の中で違和感、つらさというのがあったんです。
そのころ英語を勉強しといた方がいいやろと思っていて、フィリピンに留学しました。
そこで、日本との違いが自分の中で心地よくて。

日本の常識、当たり前というのから解放されて違う常識に触れることで、「苦手である<日本の常識>が通用しない自由」を感じるようになったんです。
海外は自由なんだと、生きやすいんだと思いました。で、もしそのフィリピンだけでそう思うならほかの国も いろいろ感じるものがあると思い世界一周に行くことにしたんです。32か国に行きました。

あ、旅のスポンサーになってくれたカリマー、めっちゃいい会社です!いま初めて宣伝します!(笑) (*背中のリュック等装備を見せながら)

あと、在学中に日本一周したいと思っています。ひきこもりのいる家に泊まりながら、ひきこもりながらやりたいと思ってるので、ご協力いただける方はお声掛けください。(笑)

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NPO法人わかもの国際支援協会
541-0046住所大阪市中央区平野町 一丁目7番1号 堺筋髙橋ビル5階大阪NPOセンター内 B-502
06-6777-1141(事務局)
http://wakamono-isa.com/

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(以上で第1部終了)

 主催者によると、第1部の参加者は120名を超えたそう。
それぞれの想いや活動の発表のあとは、第2部・第3部の「徹夜の懇親会」があり、当事者たちは明け方まで語り合いました。

翌26日の「第4部」は、企画当初はパネルディスカッションを予定していたのですが、準備を進めるなかで第4部は「つながり」と「しあわせ」について考える会にしてはどうかと、司会担当から提案がありました。

壇上でパネルディスカッションをするより、出てきたテーマについて、それぞれがどう思うかを、参加者みんなが近くの人と話し合うような場にしたい…。

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会場の真ん中に主催者4名が座り、「フィッシュボウル」と呼ばれる進め方にチャレンジです。その中心を囲むように、何重かのサークルにして椅子を並べ、対話を広げていく形です。

この案で行こうと思う、ということを豊中市職員に報告したときに、「会の性格的に、話しづらい人もいるのではないか」「フィッシュボウルをやるには人数が多すぎるのではないか」などと懸念を示されていましたが、若者当事者の集会ということで主催団体の意向が尊重されました。

そして、いよいよ第4部の開始。
参加者のなかには、前夜の懇親会に参加したまま、ほぼ徹夜状態の人もいます。

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(撮影:宮武 将大 *撮影方向に着席者が少ないのは、撮影OKの方が座る席のため)

まずは輪の中心の席に座った主催者たちが、思い思いに「つながり」や「幸せ」について語ります。

職場は肩書きが重視されるし、あの人は仕事できる、できないで評価してる。
個人的なことは職場に持ち込まないってことになってる。
このまま定年まで生きて死ぬ前にいろんなことを思い出した時に、自分が付き合ってきた人ってなんなんやろうと思う。(横山さん)

もともと僕もひきこもりだったけど、仕事を通じて人の優しさも受けてる。
みんな、なんだかんだ苦しみながら働いている人もいる。
自分だけじゃないんやなと思う。支えてくれたりするから、次は助けようと思う。(宮武さん)

といった話をした後、それぞれの参加者がどう思うか、近くの人と対話する時間を持ちました。
ひきこもり経験者で、最近就労した方は「当事者同士のつながりじゃないものを求めています。でも、そういう場ではひきこもり経験のことは話せない。かといって当事者の集まりでは仕事の話はしづらい。中間のコミュニティがあったらいいのに」といった思いを吐き出していました。
それに対して、他の参加者からは「ボードゲームの集まりがあるよ」「スポーツサークルはどう?」といった紹介がされていました。
輪の中心の対話をきっかけに、会場中に対話が広がっている様子を実感します。

20分ほどそれぞれで話した後、主催グループが「この輪の中に、音響をしているたなかさんを呼びたい」と言って たなかきょう さん(*)を呼びました。
何の話をするのだろう…という会場の注目のなか、たなかさんはいきなりギターを持って登場。会場じゅうの「ディスカッションなのに?ギター?」という戸惑いの空気を感じます。
たなかさんはこう切り出しました。

今日、脳内出血で手術してる友達がいるんです。生きるか死ぬかわからん状態で。
なんとか助かってほしいと思っています。
…ひきこもりの友達が今までいっぱい死にました。
生きててほしいなと思います。

といって、「ひきこもりの歌」を熱唱。

♪キミに一言だけ伝えるとしたら明日もその場所で
生きていてほしい…

当事者の親として参加していると思われる年配の女性たちが、涙をこらえきれずハンカチで拭う姿が見られます。

歌の後、会場は大きな拍手に包まれました。

その後も話をする人は入れ代わり立ち代わり、第1部の最後で話しきれなかった世界一周の中村さんも話しました。

世界一周して何か変わったかと言うと、そんなに変わったわけではないんですが…。
海外って、ひきこもってた当時からしたら遠い世界=異世界でしたけど。
現実世界である日本であかんかったら、異世界に行こうと思えるようになって、気持ちは楽になった。
人間関係で失敗してどうしようもなくなってもなんとかなるやと。

小学校から中学校1年の不登校の子がいるという親の方と話をしてたんですが、とても心配そうにされていました。

僕もひきこもってる当時は、親のこともあんまり考えてないし、親にひどいこともいったりしました。俺がひきこもってんのはお前のせいやとも言ってしまったり。
高校入ってからもそういう思いはあって、都合が悪くなると親がちゃんと行かしてくれへんかったからやといって、それで自尊心を保っていたところがあります。
当時やと、そういうふうに思ってしまうんやなあと改めて思いました。

「フィッシュボウル」の対話が起こす対流のなかで、さまざまな考えや体験談が出てきました。

とはいえ、今回登壇したり、輪の中心でお話をされたのはいわば「ひきこもり界のスーパーアスリート」のような少数派の人々。

世の中には彼らを遠く感じる人もいるのではないか…と思っていたところに、当事者の方が発言の輪の中に入ってきました。主催者の一人である泉さんと、居場所で出会ったという彼はこのように話し始めました。

今まで話されていたのは主催者のトップ側です。
ひきこもりにしてはしゃべれる人が出過ぎてるんちゃう、と思ってる人、絶対いると思うんですね。

私自身、8年+8年、計16年のひきこもりやってて、ようやくこの14カ月バイト続いている人間です。
3年くらい前に同じようなイベントに参加して、(今回とは別の)登壇者の話を聞いて、「『元ひきこもりやけどNPO法人自分で立ちあげてむっちゃ頑張ってる』って、普通の人よりすごいやんか。この人らはほんまにひきこもりのこと考えてるんか」と思ってたんです。

子どもがひきこもってる人もいるでしょう。
うちの子とは違うと思ってるでしょう。

(大きく頷く当事者の親たち。拍手する母親も)

でも、それから何年か経って、(主催者の)泉さんたちと(居場所などで)付き合い始めて最近私もわかってきたんですが、主催者側の人たちも、(そういう人たちの存在を)忘れてはいないんです。どうしていいかわからないけど、主催者たちは気にしてないわけじゃないんです。

いろんな人に自分からひとりで話しかけるのは勇気のいることやけど、話しかけてみたら、忙しくなければ聞いてくれる人、というのは結構いると思います。
当事者も親も、まわりの有名な方とかに話しかけてみて、反応があったら1回こっきりじゃなくて、緩いつながりをつなげていったらいつの間にか話せるようになるんじゃないか、そういう可能性が増えてくるんじゃないかと思います。

泉さんといろいろ話す中で、(今回のイベントにおけるパネル出展への応募を)やってみていいかな?と相談したら、(それまで泉さんとの雑談で出たことをまとめて)パネルで出展しなよ、と言ってくれて元ひきこもりとしては大きな行動であるパネル掲示を出してみました。

そんなふうにして、ちょっとずつでもつながりを深めていったら、自分の思う幸せに近づいていくんじゃないかなあと思います。

と発言。
今回初めて『「勤労の義務」の研究』でパネル出展をした鈴見咲君高さん。
主催者や登壇者と、悩む当事者の間をつなぐ役割を見事に果たされていました。

会の終わりに、「うちの子とは違うと思ってるでしょう」という発言の際に拍手をしていた方にお話を伺いました。

「私の娘は18年ひきこもっています。
出かけるどころか、他人が家に来る気配を感じるだけで、じんましんが出るような子です。
今まで、将来、ずっと真っ暗闇のように思っていたのが、今日来たことで、「真っ白なかすみ」くらいにはなった気がします」
といって帰られました。


つながりと幸せ、そして、対話。
参加者一人ひとりの心に、何かの種が蒔かれたように感じるイベントでした。

*たなかきょうさんは現在は自身の経験から得た生き方を歌って語る講演会、セミナー等、出演、自己表現塾講師、シンガーソングライターとして活動されています。http://tanakakyo.syncl.jp/

主催
  NPO法人ウィークタイ
 NPO法人グローバルシップス・こうべ
 NPO法人わかもの国際支援協会
 一般社団法人hito.toco
 豊中市
 若者当事者全国集会実行委員会