(2014年5月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 238号より)
全国初、行政による原発裁判。 函館市、大間原発の 建設中止を求めて提訴
4月3日に函館市は、国と事業者である電源開発株式会社に対して大間原発の建設中止を求めて裁判に訴えた。提訴の予算は市議会でも承認されており、いわば函館市民が一丸となって訴えているものといえる。行政当局が原発裁判を行うのは全国でも初めてのことで、原発をめぐる国と自治体のあり方を問う画期的な提訴だ。同市だけでなく北海道のほとんどの自治体が大間原発の建設に反対している。
大間原発は2008年から建設が始まり、11年の震災で建設を中断し、12年10月から再開した。04年に民営化され、ジェイパワーの愛称で知られる電源開発は、戦後の大規模ダム開発による水力発電や火力発電の開発を担ってきた特殊会社(政府出資67%、他は9電力)だった。同社はまた国産原子炉の開発を進めようとしてきたが、これはコスト高を理由とする電力会社の反対で頓挫し(95年)、プルサーマル専用の原発に切り替え、六ヶ所再処理工場で取り出されたプルトニウムを使用するための原発と位置づけられた。
函館市の言い分は、政府が大間原発の設置許可を出したのは福島原発事故を起こした古い規制基準によるので、今では通用しないから許可を取り消すべきだ。また、規制委員会は今の基準に適合していないのだから建設をやめさせるべきだ。事業者に対しては、旧基準に基づく建設では事故が起きる恐れが高く、事故時には壊滅的被害により函館市自体の存続が危うくなるから建設を中止すべきというもの。
大間原発の許可時には津軽海峡を挟んだ対岸の函館市は蚊帳の外だった。にもかかわらず、防災対策の範囲が福島事故後に30キロメートルまで拡大されて、防災計画を策定しなければならなくなった。しかし、27万人の函館市民を放射能被曝なしに避難させる計画はできないと工藤壽樹函館市長は言う。
函館市は裁判費用への寄付を求めていたが、わずか1週間で1千万円を超えた。全国からの支持が集まっている証しだ。
伴 英幸(ばん・ひでゆき)
1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)