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放射能汚染地域の火事、消火活動に防護服やマスク

4月末、福島県で山林火災が発生した。出火原因は突き止められていないが、空気が乾燥している時期であることと強い風によって燃え広がった。4月29日に白煙が確認され、福島県の公式発表によれば「10日15時05分に鎮火」した。


自衛隊と双葉地方広域市町村圏組合消防本部が消火にあたったが、難航した。「ヘリからの散水で表層の火を消しても、落ち葉や腐葉土の中で火がくすぶり続け、一晩たつと再び表層も燃え始める」事態だったと報じられている。

場所は福島県双葉町にある十万山。同時期に宮城県栗原市や岩手県釜石市でも山火事が起きているが、福島県の場合は山林が福島原発事故により飛散した放射能で汚染された帰還困難区域のため、通常の装備に加え、放射線対策の防護服やマスクを着用しての消火活動になった。
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6年間人の出入りはなく、登山道が整備されていなかったことも、消火を困難にした。非常に大変な作業だったことが容易に想像できる。消失面積は50万平方メートル以上とされているが、70万平方メートルとの報道もある。
山林は除染できないし、していないので、概ね事故当時に降り注いだ放射能による汚染状態のままと言える。風雨による移動はそれほど多くはない。また、この6年の間にセシウムはだいたい半分に減っている。これは半減期による物理的な減少だ。それでも帰還困難区域の汚染状況は厳しい。腐葉土の中や樹木に取り込まれているセシウムが、今回の火災によって大気中に舞い上がり風下に運ばれていくことになった。

観測場所、3地点追加。
大気中のセシウム濃度、火災後に100倍の所も

事故後に強化された監視体制により、火災現場周辺にもモニタリングポストが設置され測定が継続されている。その数値に大きな変化は見られなかったが、県は5月1日より測定器を持ち込み、空間線量率や大気中のセシウム濃度の測定を強化した。この測定器の追加先はやすらぎ荘(浪江町)、石熊公民館(双葉町)、野上一区地区集会所(大熊町)の3地点だ。そこでは毎日2、3時間、大気を吸引しフィルターに付着した浮遊塵のセシウム濃度を測定していた。

常時観測地点の一つ、大熊町夫沢(石熊公民館から南東へ3キロほど)での大気中のセシウム濃度は、昨年1年を通じて1平方メートルあたり0・37ミリベクレルを超えたことはなかった。石熊公民館周辺など、近辺は同様の状態と考えられる。ところが、やすらぎ荘では5月3日と4日、そして7日から10日と16日は1ミリベクレルを超えた。特に8日は3・59ミリベクレルと高かった。石熊公民館でも4日と8、9日、11、12日と16日に高く、特に12日は29・06ミリベクレルと最大値を示した。野上一区では8日だけが1ミリベクレルを超えた。

石熊公民館のデータに着目すると、火災前の空間線量率は毎時2・3マイクロシーベルト程度で火災後も大きな変化が見られないが、大気中のセシウム濃度はこの測定期間中の高低差が100倍近い。これは火災で舞い上がったセシウムの影響だと判断できる。

大気中のセシウムは呼吸を通して肺に取り込まれ、内部被曝を与えることになる。住民が、仮に住んでいたとして、10日間の吸入による内部被曝は高いものではないが、無視できるものではない。さらに、鎮火後もセシウムが風で舞い上がる可能性はあり、内部被曝が継続する可能性がある。

これに対して、福島県は9日に「周辺環境に影響が及んでいる事実は一切ない」と発表。セシウムの影響をことさら過小評価した、行き過ぎた安全宣伝と言えよう。
放射能による影響を林野庁が今後調査するとしているが、単なる安全宣伝に終わらせないでほしい。十分かつ詳細な調査を実施して、そのデータを公表すべきだ。
山林火災は今後も起こる可能性は高く、より広範囲に大気中のセシウムを測定できる体制を整えておく必要があるだろう。


(2017年6月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 312号より)


伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)







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