路上生活者から聖火ランナーへ。オリンピックを目指す元ビッグイシュー販売者が波乱万丈の人生を語る

路上生活者から聖火ランナー、そして次の目標へ

ジョエル・ホッドソンは若いながら、その人生はすでに波乱に満ちている。ベリーズ(中米のユカタン半島東部に位置し、メキシコとグアテマラと国境を接し、カリブ海に面した国)の狭い児童養護施設を出てスコットランドの村へ、そしてロンドンでの路上生活者から聖火ランナーへ。

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今年26歳のジョエルは5年前、ロンドンでホームレスとなっていたが、ビッグイシューUKの販売で自らの人生を変え、最終的には法律事務所でフルタイムの職を得るに至った。そして今、ベリーズ出身の青年は、スコットランドのグラスゴーで開催されるコモンウェルス・ゲームズの陸上競技出場を目指している。
INSP.ngoの厚意により/ビッグイシューUK(2014年4月28日配信)
 

養護施設ではたくさんの子どもたちと、床に敷いたマットレスに頭と足を互い違いにして寝ていた。幸せだった記憶しかない。

ロンドン中心部にあるフレッシュフィールズ法律事務所の豪華なオフィスで対面したジョエル・ホッドソンは笑顔で、ビジネススーツでビシッと決めている。この26歳の青年は、自身の波乱万丈な人生を詳しく語ってくれた。ベリーズの狭い児童養護施設からスコットランドの村へ、そしてロンドンでの路上生活者から聖火ランナーへと至ったこれまでの道のりを。

現在、仕事の合間を縫って厳しい練習をこなす元ビッグイシュー販売者の希望と夢は、イギリス連邦に属する国や地域が参加して4年ごとに開催される総合競技大会コモンウェルス・ゲームズでの栄光を手にすることだ。人格が形成される時期をベリーズシティの狭苦しい養護施設で過ごした少年にとっては以前には考えもつかなかったことだ。ジョエルは、母親が子どもたちの面倒を見きれなくなったために二人の姉たち、イヴェット、キーシャとともに施設に預けられたのである。

「記憶しているのは、3人とも結構幸せだったということです」と、ジョエルは打ち明ける。「とは言っても、その年齢の子どもに悩みなんてないに等しいですけどね。養護施設にはたくさんの子どもたちがいました。床に敷いたマットレスに頭と足を互い違いにして寝たものです。ひとりの女の子のことを覚えています。彼女はたった12歳か13歳くらいだったのに、みんなの母親役でした」。ジョエルは施設で4歳となり、代わり映えのしない日々がゆっくりと過ぎていった。とあるスコットランド人夫婦が施設を訪れるまでは。

イギリス海軍海洋技師のジョージ・ホッドソンは当時、この小さな中米の国に駐留していた。ジョージの妻ショーナがジョエルたち姉弟のいたドロシー・メニス保育センターを紹介されたとき、夫婦にはすでに2人の子どもがいたが、夫婦はひと目でこの姉弟を気に入った。その時は3人が姉弟であることを知らなかったものの、3人の絆は明らかだったとショーナは言う。

「隔週土曜日に私たちは大勢の女の子たちを外に連れ出していたのですが、ある日、いつまでも泣き止まない小さな男の子がいました。自分をおいてお姉ちゃんたちだけが連れて行かれると思ったようです」と話す。「それがおちびちゃんのジョエルでした。素晴らしい笑顔が印象的な明るい小さな子でした。彼の姉たちはいつも、あの笑顔があればあの子はどこででもやっていけると話していました」

「3人の姉弟をちょっとした日帰り旅行に連れて出るようになって1か月が経った頃、ジョージと養子縁組について話し合い、私も彼も、子どもたちの人生をいい方向に変える手伝いをしてあげられるのではないかと考えたのです。私たちは新しい人生を始めるチャンスをあげられると確信していましたので、すべての手続きが終わるまで、当時私が勤めていた託児所と学校に3人を入れました」
 

太陽の光あふれるベリーズから灰色の空が覆うスコットランドへ。一番の思い出は初めて見た雪

養子縁組の手続き開始から親戚が子どもたちに対する権利を主張できる猶予が6か月あり、その期間が過ぎたところで、姉弟は太陽の光あふれるベリーズを後にし、灰色の空が覆うスコットランドに向かった。「ジョージは南米での残りの任期を全うするために更に数週間留まり、私は子どもたちをスコットランドの学校に入れるために先に発ちました。過去を振り返ったことは一度もありません」とショーナはいう。

スコットランドの西岸は太陽の光が燦々と降り注ぐベリーズの海辺に比べれば薄暗いかもしれないが、グラスゴーに近いウェスト・ダンバートンシャーにある脱工業化の村レントンでの幼少時代はジョエルにとって大切な思い出だ。「スコットランドでの一番の思い出といえば、初めて雪を見たことです」と彼は話す。

「ベリーズは灼熱の国で、自分たちがスコットランドに到着したのは10月でした。クリスマスも間近に迫ってきた頃、裏庭を見て、自分の目に映っているものが信じられませんでした。それがなにかわからなかったのです。すごく興奮してパンツ一丁で外に飛び出したものの、すぐに家の中に逃げ帰りました。すごく寒かったのです! これがスコットランドでの最初の思い出です」ジョージとショーナの娘たちキャシーとグレイスの新しい妹弟として、ベリーズからやってきた3人の子どもたちは温かく迎えられた。「私は昔も今もスコットランドが大好きです」と、ジョエルは笑顔で話す。「素晴らしい子ども時代でした。もちろんカルチャーショックはありましたが、いいことだらけでした。スコットランドは景色が美しく、人々もとても親切です」
 

憧れた養父の死、女手ひとつで育ててくれた養母に深い恩を感じている。

スポーツが大好きで努力家のジョエルは、陸上競技とサッカーで数えきれないほどのメダルを獲得し、成長するにつれ熱心なレンジャーズFCのサポーターとなった。母親のショーナには深い恩を感じていると今も口にする。ジョージは入隊40年で海軍を退官し、家族がベリーズから戻ってわずか3年後の1995年にガンで他界した。ショーナはそのあとも、女手ひとつでジョエルたちを育てたのだ。

「父は私の憧れでした」とジョエルは言う。「正式に養子となった瞬間から彼のあとをくっついてまわりました。ジョージの死は、今も乗り越えられていません。ひとりで自分たちを育ててくれた母は称賛に値します。サッカーの試合には必ず応援に来てくれましたし、タッチラインで一番大きい声を上げていた親も彼女です。その一方で、私たちが自分たちのルーツであるベリーズを忘れないように努力してくれました。素晴らしい女性です」

「ジョージは確固たる信念を持って生きた人で、ガンの治療を受けながら仕事にも行き、子どもたちをサッカーやダンスにも連れて行ってくれました」と、ショーナは当時を振り返る。「ジョエルは父親を尊敬していました。ほかのみんなも同じです。今のジョエルを見てください。あの意志の強さはまさに父親譲りです。ジョージの死はみんなにとって計り知れないほどの喪失でした。7歳の少年に、ここで新しい生活を始めてたった3年で父親が天国に行ってしまったと伝えなければいけないことはとても痛ましい経験でした」
 

憧れのロンドンに引っ越した5か月後にホームレスに。初めての野宿は警察署の階段

ここで時間を一気に2009年まで進めよう。 21歳の若者に成長したジョエルは、コールセンターの仕事を辞め、幅広のカレドニア製ブローグシューズを履いてガールフレンドのミシェルと一緒に華やかなロンドンに向かった。しかし、二人の夢はあっけなく終焉を迎えることになる。クロイドンに移って5か月後のある日、ジョエルが外出している間に泥棒がアパートに押し入り、ミシェルを暴行したのだ。

2人は恐怖に襲われた。その上、目撃者が不在では警察はそれ以上の捜査ができないと言われた。「警察官が言うには、自分たちにできることはほとんど何もない、君たちはここにいると危ないということでした」と、ジョエルは説明する。お金も仕事もない2人を待ち受けていたのはホームレスという現実だった。

「警察官は、荷物をまとめて役所に助けを求めるよう勧めてくれましたが、その後に、私たちがここに来て半年も経っていないから地域とのつながりを主張できない、なのでスコットランドに帰ったほうがいいと言われました」と、ジョエルは当時のことを語る。「2人とも絶対に戻らないと決めていましたし、自分たちで切り抜けたかったのです。まだ一歩を踏み出したばかりで、とにかく挑戦する気になっていたのです。その夜は、警察署の階段で眠りました」
 

いつも監視カメラのあるとことで寝た。カメラを通して誰かが見てくれていると考えたから

路上で一夜を明かしたジョエルとミシェルは若いホームレスのためのホステルに救いを求めたが、受け入れを認められたのはミシェルだけだった。ジョエルは自力で頑張るように言われたのだ。もしくはゲイのふりをするしかないと。「私の年齢から判断して、自分で何とかできるだろうと思われたのです」とジョエルは言う。「要するに、ホステルに留まるには自分はゲイだと言うしかないと言われたわけです。そうすれば、弱い立場だと判断してもらえるからと。でも、私とミシェルは一緒にいることを選びました」

この時すでにジョエルは家族と音信不通になっていた。「こうしたもろもろのことがある前に母と私は喧嘩をしていて、自分も頑固な性格なもんですから、ずっと引きずったままだったのです」と、ジョエルは当時のことを話す。「家族は私がホームレスになったことも、ましてやそれがどれだけひどい状況だったかも当然知りませんでした。それに私もそのような状態で家族の元に戻るのは嫌でした。自分は大人なのに、家族にまだまだ子ども扱いされているような気がしていました。その点をはっきり自覚して、なにか結果を見せられるようになるまでは連絡を取りたくなかったのです。辛い時期でしたが、ミシェルと2人でお互いに助け合いました」

頼るところもないジョエルとミシェルは、ウェストミンスター警察署の階段やハイドパーク周辺の照明の明るいところなど、人の目があり安全そうに見えるところを寝場所に選んで1か月を過ごした。「基本的に、監視カメラがあればどこででも寝ました」とジョエルは言う。「孤立感を覚え、怯えもありましたが、2人になにかあったとしても、少なくとも監視カメラを通して誰かが見ていてくれると考えたのです」
 

ビッグイシューの販売開始、社内販売がきっかけでフルタイムの職を得る。

ジョエルは路上でひと晩過ごしただけで、すぐにビッグイシューに頼ることを決めた。楽な道のりではなかったが、ロンドンの路上で雑誌を売り始めて間もなく、いくらかの収入を得るようになった。「ビッグイシューがすべてです。本当に。転機のきっかけとして心に刻んでいるのは、ボクスホールにあるビッグイシューのオフィスに足を踏み入れた瞬間です」と彼は言う。「その先になにが待ち構えているかもわからない状態でしたが、スタッフのみなさんから歓迎されていると感じられました。あらゆる不安も心配も吹き飛びました。久しぶりに味方を出会えたような気持ちでした」

ホースフェリー・ロードの自分の販売場所で毎日雑誌を売り続けたことで、チンフォードのキャンプ場に滞在場所を確保し、そこで3か月を過ごす間にアパートの保証金と最初の1週間分の家賃を貯めた。「いいところだったとは言えません。窓が粉々に割れていましたから。でも、少なくとも外ではなかった。冬も近づいていて外は空気も冷たくなり始めていました。たいしたところではなかったですが、家は家でした」

さらなる転機は、販売者となって10か月後の2010年5月に訪れた。ジョエルは、ビッグイシューと国際的に展開するフレッシュフィールズブルックハウスデリンガー法律事務所との間で始まった新しい企業内販売スキームのリーダーとして自ら名乗りを上げたのである。その法律事務所からの誘いを受け、販売者がロンドンにあるかなり立派なオフィスの中で週に1回雑誌を販売するというものだ。彼はすぐさま人気者となり、その労働意欲にいたく感銘した所員たちから様々なインターンシップをオファーされた。

最終的に、3回の面談のあと、2011年に経理部でフルタイムの職を得た。「この仕事が私の人生を一変させました。安心と職を手に入れたのです。日々の心配ではなく、先の計画を立てることができるようになったのです。そして、今日私がこの場にいるのもビッグイシューのおかげなのです」
 

次の目標は祖国ベリーズ代表チームに入ること。チャンスが少ない故郷の子どもたちに希望を見せたい

話は、ジョエルが収入を得るようになったところで終わらない。家族と再び連絡を取り合うようになり、新たな職場の同僚たちによって2012年オリンピックでの聖火ランナーに選出されたのである。ジョエルは、この時の経験を「人生で一番誇りに思える日」だったと語る。また、このことが世間の注目を集めたことで、彼はベリーズ代表の陸上チームと出会い、そのチームから、開会式に先立ちオリンピックスタジアムでベリーズの国旗を掲げる役割を任された。

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才能ある駆け出しの走者として注目を集めたジョエルには今、第2の故郷グラスゴーで開催される今夏のコモンウェルス・ゲームズで約20年前に離れた祖国ベリーズの代表選手となるチャンスがある。彼の目はこの7月で第20回をむかえる大会での400メートル走にしっかり向けられている。出場資格を得るためには、6月までに開催される16の公式競技会のいずれかで45秒7以内のタイムを出さなければならない。

「数週間後に控えるレイ・ヴァリー大会で結果を出すつもりです」と、ジョエルは決意表明する。「ここロンドンで予選通過したいと思っています」。現時点での自己ベストは46秒2で、これから3か月は週6日の厳しい練習に臨む予定だ。ジョエルは、グラスゴーのハムデン・パークで行われるコモンウェルス・ゲームズでレーンに立てると確信している。

「ベリーズ代表となることはとても特別なことです。それもグラスゴーで」とジョエルは言う。「実はハムデンに行ったことがないのです。私が育った町から20マイルほどのところにあって、いつもテレビでレンジャーズの決勝戦を観戦していましたが、実際に足を運ぶ機会がこれまでなかったのです。この夏、ようやくあの地を訪れることができるよう祈っているところです。しかし、私にとってのモチベーションはむしろ、次世代の子どもたちの刺激となれることです。結果がどうなろうと、そのことのほうがもっと重要なのです。競技には参加できるだけで十分です」

「その先の計画は、来年の[北京での]世界陸上競技選手権大会、そして2016年のリオでのオリンピックを目指すことです。今現在の私の願いは、現状打破の方法はほかにもあることを示してベリーズの若者たちに刺激を与えることです。ベリーズでは子どもたちが手にできるチャンスはあまりなく、多くが学校を卒業すると麻薬や犯罪の世界に引きずり込まれていきます。彼らに自分たちが望む通りの人生を歩むことができるのだと希望を持ってもらうことが私にとって、大切なことなのです」

スコットランドにいる家族は、いかにしてジョエルが苦境を脱したかを知り、この上ない喜びを味わった。「ジョエルを誇りに思います」と語るのは、ニコニコ顔のショーナである。「あの子は落ちるところまで落ちる可能性がありましたが、そこまで引きずり込まれることを自ら拒否したのです。それでこそ、ジョエルです。私たちの家族です。連絡が途絶えたことでみんなが苦しい思いをしましたが、彼は自分で人生をいい方向に変えたのです。自慢の息子です。いろいろな経験をして今の彼があるのです。みんながとても嬉しく思っています。コモンウェルス・ゲームズは彼にとって、大きなご褒美となるでしょう」

インタビューが終わると、ジョエルが煌びやかなフレッシュフィールズ本社の正面玄関まで案内してくれる途中、にぎやかな社員食堂の、彼がかつて雑誌を手に販売していたまさにその場所で立ち止まった。ここで彼は人々を魅了し、将来のためのお金を貯めたのである。「いまだに妙な気持ちになります」と彼は言う。「でもこの感覚はこの先もずっと続くのでしょう。今も、すべては昨日起きたばかりのように思えます。当時は、まさかこういう未来が待っているとは夢にも思っていませんでした」

単純な道のりではなかったものの、ジョエルは崖っぷちから全力疾走で戻ってきた。艶のある皮のブローグを履いていようと擦り切れた陸上スパイクを履いていようと、自らの足でしっかりと立つひとりの男である。彼を止められるなら止めてみるといい。

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