「水俣病」は、地域内、家庭内、コミュニティ内の対立と分断、孤立を生んだ
1956年に確認された水俣病。この公害問題は迷走・深刻化・長期化し、水俣地域コミュニティは甚大なダメージを受けました。
政府に経済成長を順調に進めたいという意図があったため、当時の日本の経済成長に欠かせない会社とされていたチッソ株式会社(以下チッソ)の工場排水が水俣病の原因であるということが認められるまでに12年もの歳月がかかりました。
当時チッソ水俣工場はプラスチック原料(アセトアルデハイド)を作っていたので、水俣工場を止めて原料を輸入するとなると、主力産業の生産活動に打撃を与え、国益を損なうことを恐れ、政府は、原因究明を遅らせるなど、水俣病解決に積極的に動かなかったのです。
しかも、地域経済の7割くらいがチッソ関連事業に依存していたため、水俣病になっても声をあげられなかったり、患者の家庭内や親戚内、およびコミュニティ内でも「チッソのせいにするな」といういさかいが起こったりしていました。
また、当時工場排水の影響を受けない山側に住み、米や野菜を作って生計を立てていた人たちも水俣産と分かれば、農産物が売れなくなる風評被害を受けたそうです。そのため、「事を荒立てた」ということで彼らの怒りが水俣病患者に向けられてしまうなど、コミュニティの分断はいたるところで起こりました。
もともと水俣市はつながりが強い地域だったのにも関わらず、水俣病が発生したことで、コミュニティは大きく壊され、お互いを信じ合えない、いじめ合うような社会になってしまったそうです。
1990年代になり水俣では行政・市民・NGOから「自分からまちを変える」機運が
そんな経験をしながらも、その水俣市が2008年には「環境モデル都市」のひとつに選ばれたのです。
編集部補足: 環境モデル都市は、環境未来都市構想の一翼を担うものとして、内閣府地方創生推進事務局が選定します。 「環境未来都市は、環境や高齢化など人類共通の課題に対応し、環境、社会、経済の三つの価値を創造することで「誰もが暮らしたいまち」「誰もが活力あるまち」の実現を目指す、先導的プロジェクトに取り組んでいる都市・地域です。」 (内閣府HP より) |
編集部補足: 「水俣病犠牲者慰霊式 式辞」/吉井正澄市長 http://www2.shizuokanet.ne.jp/sabu/050915special.html より 詳しくは吉井さんの著書 |
「もやいなおし」で分断された水俣を再生
編集部補足: 吉本哲郎さんの考えは著作「地元学をはじめよう」をご覧ください。 <いきいきした地域をつくるために何が必要なのだろう?地域のもつ人と自然の力、文化や産業の力に気づき、引き出していくことだ。それを実行するための手法・地元学は、いま全国各地で取り組まれ、若い人たちも活発に動いている。調べ方から活かし方まで、自ら行動して地域のことを深く知るのに役立つ1冊。>※amazon紹介文より 編集部メンバーがハッとなった箇所はここです。 まなざしの開発、とても素敵なフレーズだと思いました。 |
編集部補足: 水俣市では、水俣病を教訓に、環境モデル都市づくりの取り組みを進めるため、「安心安全で環境や健康に配慮したものづくり」の推進と、職人の更なる地位と意識の向上を図ることを目的として、平成10年度に全国初の取り組みとして同制度を確立しました。 水俣市ホームページ より |
水俣市は、国に見捨てられた経験があるからこそ自発的な動きが生まれました。
山間部では、質の高い紅茶づくりに取り組み、その品質が認められて「とらや」紅茶味の羊羹の原料に採用されるなど、他の地域から認められる実績も生まれています。
水俣の取り組みからの学びは以下にまとめます。